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沖縄最強のオバアが元気を届ける 喜劇の女王・仲田幸子のドキュメンタリー映画、東京進出

 沖縄芝居を守り続ける「でいご座」の主宰・仲田幸子(76)の半生を紐解くドキュメンタリー映画『オバアは喜劇の女王〜仲田幸子、沖縄芝居に生きる』(出馬康成監督)が17日より、東京・ヒューマントラストシネマ有楽町で公開される。彼女は、戦後、沖縄で“笑い”と“元気”を与え続けてきた沖縄最強の“オバア”として、地元では知られた存在だ。

戦後、沖縄の人に「笑い」と「元気」を与え続けてきた喜劇の女王・仲田幸子の全貌が今、明かされる

戦後、沖縄の人に「笑い」と「元気」を与え続けてきた喜劇の女王・仲田幸子の全貌が今、明かされる

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 全盛期は40以上もの劇団があったと言われる沖縄芝居=ウチナー芝居。沖縄方言で演じる芝居だが、若者の方言離れやテレビの普及により、多くの劇団が解散へと追い込まれていった。そんな中で、今年、芸歴64年を迎えた幸子さんは家族(夫、娘、孫)とともに「でいご座」を守り続けている。

 幸子さんは赤ん坊の時に母を亡くし、母の顔を知らずに育つ。幼少時代に沖縄戦を体験。乗るはずだった「対馬丸」にお金がなかったため乗船できず九死に一生を得るが、たくさんの友人を失った。12歳で米軍の捕虜となり、その収容所に慰問に訪れた沖縄芝居に魅せられる。南月舞劇団という舞踊の劇団に14歳で入団。それから芝居一筋の人生が始まった。25歳で「でいご座」の座長となり、昭和40年代には、1ヶ月に40公演、4日間での最多公演数は16舞台、どこへ言っても大入り満員の大盛況を極める。

 戦後の絶望の淵から人々を笑いで救い、共に傷を癒しながら歩んできた半生。彼女の舞台に対する情熱、沖縄方言にこだわる彼女の姿勢は、失われつつある沖縄の文化の継承に他ならない。

 そんな幸子さんの芝居に魅了された出馬監督は、芝居だけでなく、CM出演に民謡クラブの経営と、多忙な幸子さんを口説き落とし、カメラ片手に密着取材を始めた。「(監督が)とっても熱心だったんですよね。しつこくてさ(笑)。自分の年齢も年齢だし沖縄芝居のことを残そうかなぁ、伝えようという気持ちも少しはあったから。でも、あんまり大きくは望まないタイプさ」と幸子さん。

 カメラは稽古現場で、ちょこまかと動き回り、劇団員にウチナー口(沖縄の方言)を容赦なく浴びせる幸子さんの姿や、当時、寝たきりだった夫、故・龍太郎さんが「でいご座」への想いを語った奇跡的な場面も映像として残すことができた。

 「どれだけ貧乏しても舞台に出たいと思ってずっと生きてきた。今も事務所にオバアたちから、幸子の芝居を観たいから長生きしている、という手紙やFAXが届く。ウチナーのオバアたちのためにも芝居を続けていきたい。仲田幸子、生きてるうちは死なないさ(笑)」と語る幸子さん。映画では「でいご座」の活動を中心に、本人のインタビューはもちろん、家族、仲間、ファンのインタビューも交え、喜劇の女王・仲田幸子の凛とした生き様を描き出す。

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  • 戦後、沖縄の人に「笑い」と「元気」を与え続けてきた喜劇の女王・仲田幸子の全貌が今、明かされる
  • 芝居の稽古をつける仲田幸子さん
  • 出馬康成監督(右)は今も幸子さんを、「でいご座」を撮り続けている

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