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MX『5時に夢中!』名物Pが語る“暗黒の20代”

 各局さまざまなタレントを起用し、熾烈な戦いが繰り広げられる“情報番組”戦線。そんな中、一風変わった歯に衣着せぬタレントたちを集め独自路線で歩を進めるのが、TOKYO MXの看板番組『5時に夢中!』(2005年〜)。マツコ・デラックスなどの才能を発掘し、情報番組の新たなスタンダードを構築したのが同番組の名物プロデューサーである大川貴史氏だ。ORICON NEWSは「20代はくすぶっていた」と語る“遅咲きの異端児”に話を聞いた。

■MX開局直前の“期待の一期生”も「さっさと死んで生まれ変わりたいって」

 2005年よりスタートし今年で13年目に突入した『5時に夢中!』。東京ローカルでありながら夕方の人気番組として独自のスタンスを構築。特にレギュラーコメンテーターとして、前述のマツコを筆頭に、ミッツ・マングローブ、岩井志麻子、中村うさぎ、中瀬ゆかり、岡本夏生、北斗晶など、同番組をきっかけに知名度を高めたり、最ブレイクを果たしたタレントたちがズラリ。主なターゲットとして、“夜のお仕事”を生業とする視聴者に標準を定め、出勤前のちょうど良いタイミングで放送されることから、同番組は“水商売界のめざましテレビ”とも呼ばれている。

 そんな同番組を誕生させた大川氏は、1995年のTOKYO MX開局前の採用タイミングで、新卒一期生として採用された。「期待された1期生だったんです。でもそれがまったく楽しくなくて。なんて言うんですかね。ヒリヒリしてなかったんですよ。営業部に配属されたんですが全く頑張る気持ちにならなくて、サボってばかりいましたね」と当時を回顧する。

 学生時代はバリバリの体育会系で大学まで野球部に所属。「当時は殴る蹴るが当たり前で。だから、社会人になって土日休みっていうのも初めて知ったし、ゴールデンウィークも初めて体験しましたね。チームワークも鍛えられたし、何より毎日限界まで頑張っていたので、急に社会人になると物足りない。なにせ殴る蹴るはないですから(笑)」と笑いながら明かす。常に極限状態で過ごしてきた学生時代から一転、社会人になった途端、物足りなさを感じてしまった。

 「夜な夜な遊びに繰り出して昼は仮眠室で過ごしてましたね。『さっさと死んで生まれ変わってもう一度野球を頑張りたい』って思ってました」(大川氏)。

■20代は“運を貯めてた”感覚、「年相応のブレイク」が必ずある

 そんな大川氏に転機は、30代に入り営業から番組制作への異動がきっかけだった。
「僕は営業から制作に異動になったんですが、それでも全然自信がなかったですね。でも自分の番組にこの人は面白いと思って出演して頂いたタレントさんで、その後にブレイクを果たす人が続きました。名前を出すのは恐縮ですが、ブレイク前の満島ひかりさんが司会をやっていたり、レギュラーでTKOのお二人や小島よしおさんに出たりして頂いていて、その後に売れていく。面白いと思った人たちが後に大スターになっている姿を見て、自分のタレントを見る目には自信が持てるようになりました。『自分の目線で番組を作ればいいんだ』って。他には自分の企画で言うと、スナックのママ対抗歌合戦とかがあります。元ソープ嬢のママさんの歌がまた泣けるんですよ(笑)」(大川氏)。

 キー局と比較すると、番組制作費は10分の1程度。「だからこそアイディアで勝負」と語る大川氏だが、20代までの“くすぶっていた時代”からは想像も出来ないモチベーションの上昇だ。「20代のときは“運を貯めてた”って感覚ですね。『年相応のブレイク』って必ずあると思うんです。甲子園行った人ってやっぱりそこで『人生のピーク』を味わっちゃって、そこから大成することってなかなかない。でも10代、20代とくすぶっていたおかげで、30代で初めて自分の人生が開けたんです」。

 さまざまな要因から、昨今のテレビは制作側にとっては非常に“作り辛い”時代に突入している。だからこそ、ひとつのムーブメントが起これば、それを模倣した番組が多数生まれ、いつしか“均一化”していく。だが、規制の網を上手くかいくぐることでモーブメントを起こす可能性は、まだまだテレビには秘められている。

「若い奴らには体力があって情熱があればあとからカネはついてくるっていって叱咤激励しています。でも本当に頭の中にあるのは『一人でも多くの人に届けたい』、これだけですね」(大川氏)。



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