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若年層からも注目集める「編曲家」 御大・武部聡志が語る編曲の仕事とその快感

 人気音楽番組『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)などの影響により、若手音楽家がメディアに露出し、楽曲制作の“仕組み”を明かす機会が増えている。作詞・作曲はもちろん、これまであまり陽の目を見ることがなかった“編曲家”にも、若いユーザーから熱い視線が注がれている。そこで今回、松田聖子、松任谷由実、吉田拓郎など、数え切れないほどの一流アーティストの楽曲アレンジを手掛けてきた音楽家・武部聡志(60)に、改めて“編曲”という仕事の奥深さを聞いた。

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■作曲家のメロディだけでは成立しない! 編曲家がいて初めて“楽曲”に

 そもそも音楽における編曲(アレンジ)とは、すでにあるメロディに、コードやリズム、イントロや間奏などを付け、完成された楽曲にするのが仕事。作曲家の作ったメロディだけでは音楽は成立せず、編曲家の仕事があって初めて、ひとつの楽曲として完成するのだ。同じメロディでも、使っている楽器が違ったり、コード進行が違ったりすると曲の印象がガラリと変わるのも編曲の楽しみ方のひとつ。

 現在、日本を代表する編曲家を問われれば、間違いなく上位に挙がるのが武部聡志だ。1977年からプロの音楽家として活動し、早40年。文字通り、日本の音楽シーンの屋台骨を支えてきた最重要人物の1人。「僕は子供の頃からピアノをやっていたのでクラシックがベースにあって、もう少し大きくなったところでUKやUSのロックをリアルタイムで聞いてきて、大学時代にはクロスオーバーやAORが入ってきてという具合に、一番音楽が豊かだった時代に青春を過ごしたのが大きいですね」と自身の青春時代を回顧する。

 “洋楽一辺倒”かと思いきや、昭和歌謡にもどっぷりとハマった。「僕が子供の頃は歌番組全盛ですから。テレビから流れてくる昭和歌謡は自然に体に入ってきましたね。それこそ、ピンク・レディーやキャンディーズ、山口百恵さんとか。レコード大賞も夢中で見てたなぁ。尾崎紀世彦さんが『また逢う日まで』でレコ大を獲った時や沢田研二さんが『勝手にしやがれ』で獲った時のことは鮮明に覚えていますよ(笑)」(武部)。

 幼少時代に多種多様な音楽に触れたことが、その後プロの編曲家として様々な要望に応えられる礎となった。そんな武部が、“編曲”を意識した原体験は何時だったのか?
「僕が高校時代に荒井由実の音楽に衝撃を受けた時に、“作詞作曲 荒井由実、編曲 松任谷正隆”というクレジットを見て、『きっと全体の音のムードを作っているのはこの編曲の人なんだな』と思ったんです。で、その時に『僕はこの人みたいになろう』と思ったんですね。その後、幸運にも松任谷夫妻に出会って、そこから夫妻の背中を追ってきたということでしょうね」(武部)

■印税が発生しない“編曲”にジレンマは?「1を10にする作業。アレンジ印税は難しい」

 松任谷正隆、松任谷由実との邂逅の後、本格的に編曲家としての道を歩むことに。数え切れないほどの楽曲を手掛けてきた武部にとって、“節目となる作品”とは?
「最初の節目は斉藤由貴さんのシングル「卒業」でしょうね。この曲がオリコンの上位(最高順位6位)になって、やっとアレンジャーとして認められたんです。しかも、あの曲で、僕は筒美京平さんと松本隆さんに出会い、2人の仕事のやり方を間近で見た訳ですから。スタジオで京平さんに『武部君、そこはこうした方がいいよ』って教えられたりしました。次の大きな節目は、フジテレビの音楽番組『LOVE LOVE あいしてる』でしょうね。あの番組で吉田拓郎さんやKinKi Kidsの2人と共演したことは大きかった。僕が40歳くらいで、拓郎さんが50歳くらい、KinKiの2人は17歳くらい、そういう年齢がバラバラのミュージシャンが集まって世代を超えて演奏するという、時代の流れとは対極の音楽的交わりを体験できたことは大きかった。次の節目は一青窈との出会いですね。彼女とはデビュー前から音楽を作り、世の中に送り出して、『もらい泣き』のヒットという結果が出て評価されたという流れは、自分の中で『この先もプロデューサーとしてやっていけるんだ』という自信につながる出来事でした」(武部)

 数々のヒット曲を世に送り出した武部だが、制作側でスポットが当たるのは常に作詞家や作曲家であり、編曲家が注目されるケースは稀。さらに、作詞家や作曲家には印税が入るのだが、編曲家は基本“買い切り”というのが通例だ。
「人によってランクはあると思いますが、1曲いくらという世界は今も変わりません。以前、アレンジに対して印税を支払おうという動きも一部のレコード会社にはありましたが、結局その動きが広がることはなかったですね」(武部)

 編曲家の重要性を考えると、“アレンジ印税”が発生しても良いのではないか?と思うのだが、武部自身そこにジレンマは無かったのだろうか?
「印税が創作物に発生するものだと考えると、メロディも歌詞もゼロから1を生み出しているんですが、アレンジは1を10にする作業なんですよね。そう考えるといたしかたないかなと思いますね。若い時は違う考えをしていたこともありましたが、今はアレンジ印税は難しいかと思います。ちゃんとプロデューサーとして仕事をして技術的にも知識的にも周りに納得してもらえるようになって初めていただけるのが印税なんだと思います」(武部)

■「ちゃんとした弦やブラスを書ける編曲家が少なくなってきている」その理由とは?

 近年、音楽ソフトの飛躍的な進歩により、実際に楽器が弾けずとも、ある程度の作曲や編曲が可能となった。そんな現状のなかで今年還暦を迎えた武部は、自身の“アドバンテージ”を、バックバンド時代に「オリジナルのスコア(楽譜)を間近で見れたこと」と語る。
「例えば久保田早紀さんの『異邦人』だと、萩田光雄さんのオリジナルスコアが目の前ににある訳ですよ。そこで、なるほど弦はこうやって書くのかとか、スコアが教えてくれるんです。筒美京平さんのスコアだとソウルっぽいブラスはこうやって書くんだとか、『ルビーの指輪』をずっとバックで弾いていた時は井上鑑さんのコード進行に驚ろかされたりね」(武部)

 現在は、ほぼ完成品に近い段階まで、自宅で作業できてしまうことから、武部のように“現場で譜面を見る”という行為は減少傾向にあるだろう。
「そうなると、先輩の仕事を見る機会がなくなりますから、ちゃんとした弦とかブラスを書けるアレンジャーが出てこなくなりつつある。これはエンジニアもそうで、ナマの良い音を録れるエンジニアがどんどんいなくなっている。僕がバックバンドをやっていた頃はスタジオに凄く活気がありました。スタジオに人が集まってきて、そのやりとりの中で音が生まれてきた。だから80年代の音楽はすごくキラキラしていた感じがするんですよ。それは多分、そこに集まった人間の想いや熱量が音に出て、それが聴く人に伝わっていたんじゃないかと思うんです」(武部)



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