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“逆輸入俳優”矢野浩二『ドクターX』ゲスト出演 中国のネットがざわつく

 先週8日にテレビ朝日系で放送されたドラマ『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(毎週木曜 後9:00)のある映像が、インターネット上で話題になっていたという。それは本編が終わって、15日放送の第10話の予告映像にある男の顔が2カット映ったから。その男とは、「ニューヨークタイムズ」や「CNN」が“中国で最も有名な日本人俳優”として特集を組んで紹介したこともある、俳優の矢野浩二(46)。第10話と第11話(最終回)にゲスト出演する。

テレビ朝日系『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』第10話(12月15日放送)・第11話(12月22日放送)にゲスト出演する矢野浩二 (C)ORICON NewS inc.

テレビ朝日系『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』第10話(12月15日放送)・第11話(12月22日放送)にゲスト出演する矢野浩二 (C)ORICON NewS inc.

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 矢野は、今年2月に米倉涼子らが所属する芸能事務所「オスカープロモーション」と本格的にマネジメント契約を結び、活動の拠点を中国から日本に移した“逆輸入俳優”。今回、矢野が演じるのは、「東帝大」に出産のため入院する十希子(黒木メイサ)の夫で、中国の大財閥を率いる王超。「私が中国人の役を演じるってことが、ネット上でちょっとした論議になっていまして…」と、矢野本人が恐縮しながら教えてくれた。

 「『かつて中国で日本人を演じて、今度は日本で中国人を演じている、どういうことなんだ』『どういう気持ちでやっているんだ』と、話題になっていたみたいです。私としては、やらせていただける役があれば喜んで、という立場なので、どういう気持ちかと聞かれたら、『ドクターX』のような多くの人が注目する作品に出演する機会をいただいて、光栄。ただただ感謝です」。

 元俳優で現在の千葉県知事・森田健作氏の付き人を経て、俳優デビュー。2000年、30歳の時に中国のドラマ『永遠の恋人』に初出演したのをきっかけに、中国のエンタメ界で活躍してきた。

 「中国に行く前の自分に、日本で活躍できる土俵があったかといえば、それはなかった。自分の土俵探しという思いで中国に乗り込んでいったところもありましたし、中国で仕事がなくて生活できなかったら、日本に戻ればいいという開き直りもありました。中国では、何もレールが敷かれていない状態でしたので、自分で切り開いていくしかなかったですし、とにかく流れに任せて歩んでいこうという思いでした」。

 中国で役者の仕事をはじめたら、意外とニーズがあった。抗日ドラマに登場する日本人役で重宝されたのだ。そのほとんどが悪役。抵抗はあったが、監督たちが求める芝居を誠実に演じた。「いつか人間・矢野浩二を見てもらえるように、そういう思いで、人との出会いを大切にしていきました。いろんな人たちの助けや支えがあって、仕事をいただいているわけですから、感謝の気持ちを忘れずにやってきました」。

 仕事が軌道に乗り始めると、徐々に「このまま日本人の悪役ばかりやっていていいのか」というジレンマも感じるようになっていく。しかし、見ている人はちゃんと見ているものだ。「あるドラマの監督が『もう十分、やってきたんだから、これからはやりたい役に挑戦しなさい』と、背中を押してくれたんです。自分にとっては驚きでもありましたが、そのひと言で殻を突き破ることができました」。

 もちろん、中国で仕事をする苦労は、筆舌に尽くし難いものであったろうが、「何があってもケ・セラ・セラ(フランス語で「なるようになる」の意味)でやってきた感じですかね」とまったく気負ったところがないのにも感心させられる。

 私生活では、中国人の女性と結婚し、娘が一人いる。自宅で交わす言葉は中国語だ。日本で活動していく思いとは。「もっと自分が活躍できる場所を広げたいという思いがあって、生まれ故郷の日本で認知が広がれば、また次の可能性がつながると思っています。今回の『ドクターX』のように、私が出るってことで日本の作品に興味を持つ人が中国で増えてくれたらうれしいですね」。

 『ドクターX』の撮影は、「すべてのシーン、カットで、いい意味での緊張感がありましたし、刺激的な時間を過ごすことできました。今回、米倉さんにも中国語のせりふがあるのですが、流ちょうに躊躇なくスパッと話されていたので、こちらが圧倒されました。黒木さんの中国語も上手で、びっくりしました(笑)」と振り返る。

 さらに、副院長・久保東子役の泉ピン子との“再会”もあった。「23歳の時に、泉ピン子さんが主役の2時間ドラマに出たことがありました。当時は、本当に何もできない若造で、いろいろ勉強させてもらったことを改めてお礼を申し上げようと思っていたら、ピン子さんから『中国で頑張ったんだね。ドキュメンタリー見たよ』と話しかけてくださったんです。23年経って、まさかピン子さんからそんな言葉をいただけるとは思ってもいなかったので、自分なりに頑張ってきてよかったなと思いました」。

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