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誰も狙えない“ポストSMAP”、チャリティで見えた“世界に一つ”の理由

 様々な角度からSMAPに迫る連載第15弾。彼らの解散まで、ついに1ヶ月を切った。エンタテイメントという世界において、独自に形で道をひらき、最高のものを提供し、常に元気を与えてきたSMAP。そして、“弱者”の側に寄り添ってもきた。チャリティやサポートの場は、そんな彼らの真価が特に発揮されていたものである。そんな彼らの解散のあと――果たして“ポストSMAP”は存在するのだろうか。

SMAPは今年8月に“パラサポ”応援サポーターを辞退している

SMAPは今年8月に“パラサポ”応援サポーターを辞退している

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◆SMAPが広く支持されたきっかけは、震災後のあの歌

 「僕らにできることは、関心を持ち続けることなんじゃないかと思います」

 これは、2014年の2月、中居正広が『震災から3年“明日へ”コンサート』(NHK総合)の司会を3年連続で勤めることが決まり、テレビ誌やエンタメ誌などの  取材を受けたときに語っていた言葉だ。自身も、毎回SMAPとして歌を披露していたことから、この番組に関する取材では、「歌で勇気づけられたことは?」などと質問されることが多かったが、中居は「僕個人としては、歌で勇気づけられたとか、誰かの歌を聴いて泣いたりしたことはないです。音楽によって、そうやって感情を揺さぶられたり、エネルギーをもらえる人というのは、それだけ感受性が豊かなんだろうなと思います」と、淡々と答えていた。オフィシャルのインタビューなので黙っていたが、中居が、「僕自身は歌によって感情を動かされたりしない、冷たい人間なんですよ」という“設定”で発言するたびに、「いやいや中居さん、“人の歌を聴いて”ではないにせよ、あなた、『BEST FRIEND』を歌うたびに号泣してるじゃないですか!」と、内心ツッコミを入れていた。

 1990年代にSMAPが、従来のアイドルにない幅広い支持を獲得するに至ったのは、分析記事でよく語られるような“バラエティ番組への進出”や“バラエティ班、ドラマ班など、メンバーをキャラクター分けしての個人売りの成功”“脇役から火がついた俳優・木村拓哉の大ブレイク”といった理由の他に、音楽面では、1995年1月、阪神・淡路大震災後の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で、「がんばりましょう」を披露したことも大きかったように思う。当時は、小室サウンドにキャッチーなビーイング系、スピッツMr.Childrenウルフルズシャ乱Qといったバンドなど、若手のアーティストたちがランキングを賑わせていたけれど、その分、大人から子供まで誰もがシンプルに口ずさめる曲は少なかった。そんな中、SMAPの「がんばりましょう」の歌詞は、どうってことない日常に寄り添いながら、ストレートに聴き手を鼓舞する内容が、その時期にピタリとハマっていた。しかも、踊って歌う彼らが放つテッパンのアイドルスマイルは、暗くなりがちな日常を、パッと明るく照らしてくれたのである。

◆冬の時代に生まれたグループは、“自分たちにできること”を模索してきた

 SMAPというグループは、音楽番組冬の時代にデビューし、デビュー曲もオリコン1位になれなかったせいか、常に“自分たちにできることを”模索しているようなところがある。デビュー前から、ダンスはともかく歌は苦手だと自覚した中居は、トークの腕を磨こうと、10代半ばの頃から常にネタ帳をつけていた。このエピソードは、合宿所生活を共にしたことのあるTOKIO城島茂が各所で話しているが、実際、今は当たり前となったアイドルがスポーツキャスターに就任するという流れも、先鞭をつけたのは他ならぬ中居だ。木村拓哉は、SMAP結成後の1989年、まだデビュー前に、故・蜷川幸雄さんの舞台『盲導犬』に出演。徹底的にしごかれた。“そのとき初めて、人から拍手をもらう快感と、それがどんなに大変なことかを教えてもらって、仕事に対して本気になれた”と、のちにラジオや雑誌のインタビューで語っている。稲垣吾郎はワインを筆頭に、書籍や映画など、カルチャー面を独自の視点で語って、文化人的な立ち位置を確立した。また、三池崇史監督の映画『十三人の刺客』では、それまでのイメージを逸脱するような“暴君”ぶりで、観た人を圧倒した。今では珍しくもない“料理男子”の先駆けとなったのは森且行だったし(森がいなかったら、フジテレビ系『SMAP×SMAP』のビストロコーナーはなかった)、草なぎ剛は俳優としてブレイク後の1999年に、故・つかこうへいさんの舞台に出演。絶対的な信頼を勝ち得、その後も稲垣同様に継続して舞台にも取り組んでいる。韓流ブームが起こる前に、映画『シュリ』に感動して、“ハン・ソッキュに顔が似てるから、韓国でスターになれるかも”というようなミーハーな動機で韓国語をマスター。深夜番組『チョナン・カン』(フジテレビ系)では、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)の出川哲朗もビックリの体当たり企画に挑戦している。“慎吾ママ”としてミリオンヒットを持つ香取慎吾は、早い時期からイラストを書き溜めていて、21歳の時に『しんごのいたずら』という作品集を発表。

 2015年、SMAPが日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)の応援サポーターに決まると、香取は財団の新オフィスに16平方メートルの巨大壁画を寄贈した。今年11月22日に開催された、リオパラリンピックのメダリストたちが登場したスポーツと音楽の祭典“パラフェス”では、その壁画のレプリカと、そのメイキング映像が披露された。エンティング映像には「世界に一つだけの花」が流れ、退場時のBGMは「オリジナル スマイル」だったという。

◆整わない環境下でも、全力で“パラ駅伝”を盛り上げた

 “パラサポ”といえば、昨年11月に、SMAPらしいパフォーマンス力が発揮されたイベントがあった。駒沢オリンピック公園で開催された『パラ駅伝 in TOKYO 2015』。そこにゲストとしてSMAPが登場し、「がんばりましょう」「Joy!!」「世界に一つだけの花」の3曲を披露した。私自身は、このイベントを直接取材したわけではないのだが、このイベントの1週間後に中居のインタビューが控えていて、その打ち合わせの際、イベントに立ち会った編集者がしみじみと、「この間、SMAPのパフォーマンスが素晴らしくて!」と感激しながら話してくれたことをよく覚えている。

 会場となったグラウンドはとても広大で、その端々で行われる競技は、観覧席からは見にくかったにも関わらず、SMAPの5人は楽しげに一つ一つの競技に参加し、積極的に盛り上げていたこと。競技に参加しないときでも、選手を応援したりインタビューで笑いをとったり、そこにいる全員を笑顔にさせようと必死だったこと。屋外の、しかも競技が行われるグラウンドで披露された歌は、特に凝った演出もなく、しかも歌のための音響設備が整っているわけではない中で、SMAPの“絶対に手を抜かない全力感”が伝わってきて、とても感動的だったこと。「何もないグラウンドを、あんなにキラキラ輝かせてみせるなんて。圧倒的なパワーを感じて、SMAPは本当にスーパースターだと思いました」と言われて、なんだか妙に誇らしくなった。

◆SMAPが“世界にたった一つ”である理由は――

 『SMAP×SMAP』の歌の収録に立ち会ったとき、収録終わりで、東日本大震災の義援金の呼びかけの撮影をしているところを見たことがあった。ファンならよく知っていることだが、あの義援金の呼びかけは、毎回、収録ごとに撮り直している。同じ衣装で、同じ並びで、同じ人が呼びかけている映像が使われたことは、これまで一度もない。今月で終了することが決定している『SMAP×SMAP』だが、これから先、義援金の呼びかけをするバラエティ番組は、なくなってしまうのだろうか。

 SMAPは、いつも“傷ついた人”や“弱者”や“逆境に立ち向かう人”たちへの関心を持ち続けてきた。自分たちが逆境に置かれた時は、5人で結束し、ものすごいパワーで暗さや重苦しさを跳ね除けながら、人前に立つ時はいつも笑顔でいた。いつか、人間の仕事の大半は、AI(人工知能)に取って代わるなんていう話もある。アイドルが引退したり、グループが解散する時は、よく“ポスト○○”などと、そのボジションに取って代わるのは誰かということが話題になったりする。でも、SMAPは、エンタテインメント界のパイオニアであり、ずっとピンチをチャンスに変えて、成長してきたモンスターグループだ。それが単なる地位や役職なら、後任が現れることは当然かもしれないが、SMAPという存在は、世界にたった一つ。彼らには、経験によって進化し、磨き抜かれた表現と人間力、チーム力とがある。だから、絶対に、誰も彼らの代わりにはなれない。
(文/菊地陽子)

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