NHKで放送中の大河ドラマ『真田丸』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)で、物語終盤のキーパーソン、織田有楽斎(おだ・うらくさい)を演じている井上順。初登場時(第42回)から胡散臭く、疑わしかった有楽斎だが、20日放送の第46回で、徳川と通じていたことが視聴者の目にも明らかになった。井上が有楽斎の思いを代弁する。
「有楽斎は、織田信長の実弟で、姉の市が残した茶々、初、江の三姉妹は姪っ子にあたります。かわいくて仕方なかったでしょうね。母・市の自害をはじめ、幼い頃からつらい経験を重ねてきた三姉妹には、とにかく元気で健やかに過ごしてほしいと願っていたと思います。茶々が豊臣に嫁ぎ、江が徳川に嫁いでいますので、2人が傷つかないように、自分が豊臣と徳川の懸け橋になろうというのが、一番の願いだったに違いありません」。
実在した有楽斎(織田 有楽斎 長益)は、本能寺の変を逃げ延び、その後、武将としても活躍したが、豊臣秀吉の御伽衆(主君の話し相手)となって、千利休にも茶を学んだ。関ヶ原の合戦では、ちゃっかり徳川家康の東軍につき、戦後、江戸城外濠、数寄屋橋の周辺に屋敷を拝領。その屋敷跡は有楽ヶ原(うらくがはら)と呼ばれ、「有楽町」(東京都千代田区)という地名(明治時代以降)の由来になったといわれている。
『真田丸』では、第46回で正信の嫡男・本多正純(伊東孝明)から大阪方を和睦する方向で取りまとめるように指示されると、豊臣秀頼(中川大志)に和睦を強くすすめ、主人公・真田幸村(堺雅人)と対立。幸村もわざと情報をもらしたり、佐助(藤井隆)に探らせたり、うすうす有楽斎のことは勘付いているようなのだが…
「この人、何者?って感じでしょ。当たりはとてもいいが、何かあると眼光を鋭く光らせる、『つかみどころのない人』でいいのかな、と思っています。でも、悪党ではありません。有楽斎は策士なんです。悪党なのは、家康の知恵袋である本多正信(近藤正臣)の方でしょうね(笑)。
徳川を迎え撃つために、大坂城に集まってきた牢人(ろうにん)たちを『金目当て』と言い捨てたことがありましたが、有楽斎の本音でしょう。下々のものとは違う、という特権階級意識は抱いていたと思います。人徳があって、牢人たちにも人気がある幸村とは、対照的な男です。幸村の作戦や力量は本当に素晴らしい。しかし平和のためには、ほどほどにしてほしいというのも有楽斎の本音だと思います」。
井上は、1960年代のグループサウンズ全盛期をけん引した、ザ・スパイダースのメンバーとして活躍し、71年にグループ解散後はソロで、音楽、バラエティー、ドラマ、ラジオ、ライブステージ、そして映画と幅広く活動してきた。大河ドラマは『北条時宗』(2001年)以来、2作目となる。
本作の脚本を手掛ける三谷幸喜氏とは不思議な縁があった。いまから二十数年前、井上はディナーショーの余興でクイズを出し、正解者に車をプレゼントする企画を実施。この時、クイズに正解して車を手に入れた青年が、三谷氏だった。井上はそのことを知る由もなく、その後、知人にすすめられ、三谷氏が主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」の『ラヂオの時間』(93年)を観劇。その『ラヂオの時間』は三谷氏の初監督作品として映画化(97年公開)されたが、この時、井上にも出演オファーがあり、そこで初めて三谷氏とあいさつを交わして、車の一件を知ったという。
「それから親しくさせてもらっていますが、三谷さんの作品に出たのはその映画1本きり。『今度、一緒にやりましょうね』といいながら、実現することはなかったので、『真田丸』のオファーが来た時には本当なのかな?、と一瞬、疑ってしまいました(笑)。それも、有楽斎というなかなかやりがいのある人物を配役していただいて、うれしかったですね。主役だけじゃなく、脇の人たちがキラリと輝くシーンがいっぱいある、それが三谷ワールドの真骨頂。有楽斎は幸村と最期を共にすることはないので、どう完結するかはわかりませんが(笑)、三谷さんの作品ですから、心温まるエンディングになるものと期待しています」。
「有楽斎は、織田信長の実弟で、姉の市が残した茶々、初、江の三姉妹は姪っ子にあたります。かわいくて仕方なかったでしょうね。母・市の自害をはじめ、幼い頃からつらい経験を重ねてきた三姉妹には、とにかく元気で健やかに過ごしてほしいと願っていたと思います。茶々が豊臣に嫁ぎ、江が徳川に嫁いでいますので、2人が傷つかないように、自分が豊臣と徳川の懸け橋になろうというのが、一番の願いだったに違いありません」。
実在した有楽斎(織田 有楽斎 長益)は、本能寺の変を逃げ延び、その後、武将としても活躍したが、豊臣秀吉の御伽衆(主君の話し相手)となって、千利休にも茶を学んだ。関ヶ原の合戦では、ちゃっかり徳川家康の東軍につき、戦後、江戸城外濠、数寄屋橋の周辺に屋敷を拝領。その屋敷跡は有楽ヶ原(うらくがはら)と呼ばれ、「有楽町」(東京都千代田区)という地名(明治時代以降)の由来になったといわれている。
『真田丸』では、第46回で正信の嫡男・本多正純(伊東孝明)から大阪方を和睦する方向で取りまとめるように指示されると、豊臣秀頼(中川大志)に和睦を強くすすめ、主人公・真田幸村(堺雅人)と対立。幸村もわざと情報をもらしたり、佐助(藤井隆)に探らせたり、うすうす有楽斎のことは勘付いているようなのだが…
「この人、何者?って感じでしょ。当たりはとてもいいが、何かあると眼光を鋭く光らせる、『つかみどころのない人』でいいのかな、と思っています。でも、悪党ではありません。有楽斎は策士なんです。悪党なのは、家康の知恵袋である本多正信(近藤正臣)の方でしょうね(笑)。
徳川を迎え撃つために、大坂城に集まってきた牢人(ろうにん)たちを『金目当て』と言い捨てたことがありましたが、有楽斎の本音でしょう。下々のものとは違う、という特権階級意識は抱いていたと思います。人徳があって、牢人たちにも人気がある幸村とは、対照的な男です。幸村の作戦や力量は本当に素晴らしい。しかし平和のためには、ほどほどにしてほしいというのも有楽斎の本音だと思います」。
井上は、1960年代のグループサウンズ全盛期をけん引した、ザ・スパイダースのメンバーとして活躍し、71年にグループ解散後はソロで、音楽、バラエティー、ドラマ、ラジオ、ライブステージ、そして映画と幅広く活動してきた。大河ドラマは『北条時宗』(2001年)以来、2作目となる。
本作の脚本を手掛ける三谷幸喜氏とは不思議な縁があった。いまから二十数年前、井上はディナーショーの余興でクイズを出し、正解者に車をプレゼントする企画を実施。この時、クイズに正解して車を手に入れた青年が、三谷氏だった。井上はそのことを知る由もなく、その後、知人にすすめられ、三谷氏が主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」の『ラヂオの時間』(93年)を観劇。その『ラヂオの時間』は三谷氏の初監督作品として映画化(97年公開)されたが、この時、井上にも出演オファーがあり、そこで初めて三谷氏とあいさつを交わして、車の一件を知ったという。
「それから親しくさせてもらっていますが、三谷さんの作品に出たのはその映画1本きり。『今度、一緒にやりましょうね』といいながら、実現することはなかったので、『真田丸』のオファーが来た時には本当なのかな?、と一瞬、疑ってしまいました(笑)。それも、有楽斎というなかなかやりがいのある人物を配役していただいて、うれしかったですね。主役だけじゃなく、脇の人たちがキラリと輝くシーンがいっぱいある、それが三谷ワールドの真骨頂。有楽斎は幸村と最期を共にすることはないので、どう完結するかはわかりませんが(笑)、三谷さんの作品ですから、心温まるエンディングになるものと期待しています」。
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2016/11/27