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フジロック“仕掛け人”が語る国内フェス20年の軌跡

 1997年、日本の大型ロックフェスティバルの先駆けとして、山梨県富士天神山スキー場で初開催された「フジロックフェスティバル」が、今年で20周年を迎える。現在では国内でも多くのフェスが開催されるなど、大型の音楽フェスティバルはポピュラーなものとなったが、「フジロック」初開催まであまりなじみはなく、まさにフジロックの歴史=日本の音楽フェス史といっても過言ではないだろう。ORICON STYLEでは、「フジロック」を主催する株式会社スマッシュの日高正博氏にインタビューを実施。「フジロック」の20年から、昨今の音楽フェスに対する現状まで、様々な話を聞いた。

■フェスはまだ定着してない “商店”から“スーパーマーケット”になっただけ

――日本での大型野外フェスのパイオニアとして、1997年に第1回を開催した時の原動力は、そもそも何だったのでしょうか?
【日高】 やりたいことをやっていたら、こうなったんです。我々がやりたいこととは、何もお金を払えばどこにでも行くようなバンドを日本に呼ぶことではなくて、自分たちも一緒に活動していきたいと思えるバンドを、みんなに聴いてもらうこと。それと同時進行で、イギリスやアメリカ、日本の新しいアーティストたちと一緒に成長していきたいということが、スマッシュという会社が成り立っている根底にあるんです。そのためには、我々が「この音楽はいい!これからはこの音楽だ!」と信じることが大切。レッド・ホット・チリペッパーズやオアシスも、最初に知り合った時は、まだ現地で300人くらいのお客さんしか入らないような状況でした。「絶対にこれだ!」という思い込み。それがないと、面白くないですからね。ただし、そこで重要なのは“勘”ではないんです。“勘”でやるのはギャンブルであって、我々は、「これは最高!カッコいい!」と思うものを信じる。レッド・ホット・チリペッパーズがここまで大物になったのは、偶然でも必然でもなく、音楽がもたらした化学変化だと思っています。

――その第1回目から20年、今やロック・フェスは、音楽ファンに限らず幅広い層に浸透し、市民権を獲得したと思います。日高さんは、いつ頃にフェスが日本に定着したと実感しましたか?
【日高】 いや、まだ定着したとは思っていません。単に“商店”から“大型スーパーマーケット”になっただけで、お客さんが飽きてしまえば、離れていく危険性が大いにあります。別にシニカルに見ているわけじゃなく、そう見ないといけないと思うし、毎回、「もっと良くできたんじゃないか」、「もっとお客さんに楽しんでもらえる方法があったんじゃないか」という反省の連続ですよ。

――音楽業界全体を見ると、近年はCDの売り上げが伸び悩む中、ライブ・コンサートの動員は活況を帯びています。そうした中で、フェスの役割も変化していると感じていますか?
【日高】 それは変わってきているんでしょうね。ただ一番健全なのは、CDの売り上げも、ライブ動員も、両方がどちらも成り立つことだと思うし、若い世代だって、いい音楽を選ぶ能力はちゃんと持っていると思う。最初のきっかけは、YouTubeでも何でもよくて、本当に好きになったら、ちゃんとCDも欲しくなると思うし、そう信じています。ただ、今が過渡期であることは間違いない。そこを憂いても仕方ないから、音楽を仕事にしている人は、どうすれば自分たちの仕事がうまくいくのか、それを一生懸命に考えればいいのではないでしょうか。

■アーティストのバッティングは尊重し合うならやってはいけない

――今のお話しともつながると思いますが、フジロックフェスティバルの客層の変化は感じますか?
【日高】 感じます。ああ、日本だなって。出演アーティストにもよりますが、たとえばイギリスやアメリカのフェスだと、二世代、三世代に渡ってお客さんがきて、「おじいちゃんは、こんなロックが好きなんだ」とか、世代間のコミュニケーションが生まれるんですよ。家族の中でも、観客同士の中でも。そういった光景は、フジロックフェスティバルではよく見かけるものの、三世代となると、なかなかありません。もちろん、そういったことはお客さんに押し付けることではないけれど、そういうふうになって欲しいなという気持ちはあります。それに海外は、もっとリラックスして音楽を聴いていますよね。だから、知らないアーティストが出ている小さなステージも面白そうだったら観にいくけど、日本のフェスは、インドア派が多いのか、全体的にはまだまだ知っているバンドしか観にいかないということが多いように感じます。

――その結果、いろんなフェスで、ヘッドライナー級のアーティストが重なってしまう、と。
【日高】 それぞれのフェスがお互いを尊重し合うのならば、それはやっちゃいけないことだと思っています。決して、せこい話をしているのではなくて、トップ・クラスのバンドが出るフェスを選ぶことで、バンドの希少価値も生まれるし、フェスのステイタスも高くなる。そうではなく、何でもかんでも出るとか、オーガナイズする側も、「流行っているから、ウチにも出てもらおう」という考えだと、フェス自身がフェスを潰してしまいます。だから、フェスをオーガナイズする側は、いかに自分たちの個性を出せるか、「こういうフェスにするんだ」っていう“夢”を持つことが一番大切。もちろん、若いバンドは、ありとあらゆるフェスに出るべきだと思います。だって、自分たちの音楽を知ってもらえるチャンスですからね。

■天災の後、すぐに“自粛”に結び付けるムードが嫌なんです

――近年、ロック・フェスへ親子で訪れることの賛否が話題に上ることがあります。その点は、どのようにお考えですか?
【日高】 いやいや、子どもさんと来てくれるなんて、そんな嬉しいことはないですよ。

――今年は、中学生以下が無料(保護者同伴に限る)となりましたが、それも、より広い世代に音楽を楽しんで欲しいという想いの延長線上にあるものですか?
【日高】 それもそうだし、子どもたちには、まずキャンプを経験して欲しいと思っていて。会場には、キッズランドもあるし、ドッグランやオートキャンプ場も作っていて、子どもたちだけでも楽しめるようにしています。要は、まずはお父さんお母さんに、安心して子どもたちを連れて来てもらえるような環境を作ろうということです。子どもって、将来の宝ですからね。子どもたちに、いい環境で、いい音楽を聴いて欲しい。それも、メインストリームの音楽だけじゃなくて、小さなステージとか、世界中の音楽も聴いて欲しい。これが本音です。子どもって、いろんな可能性を持っていて、いろんなことを吸収できますから、いろんな音楽を体験して欲しいと思っていますし、勝手な思い込みかもしれないけど、それが我々のやらねばいけないことだって思っています。

――もうひとつ、お話をうかがいたいのですが、大きな災害があると、日本中に過剰とも言える“自粛ムード”が漂うように感じます。でも、こうした時だからこそ、エンタテインメントの力が発揮されるべきだという意見もありますよね。その点は、どのようにお考えでしょうか?
【日高】 これは完全に、自分の個人的な考えとしてしか答えられないけど、そういった“自粛”という話題を見聞きするたびに、それはおかしいと思うし、何でもかんでも、すぐに“自粛”に結びつけるムードが、すごく嫌なんです。確かに、地震は怖いですよ。それは、よく分かる。僕自身、7〜8歳の時に、霧島えびの高原の地震で、1ヶ月間、毎日ずっと地震に遭うという経験をしました(注:日高氏は熊本出身)。でも、地球上に住んでいる以上、自然災害は必ず起こりえるものだし、そういった中で、我々ができることは、現地の方々から「もういいです」と言われるまで、フジロックフェスティバルとしても、スマッシュとしても、支援を続けていくことです。それは、エンタテインメントうんぬん以前の話で、当たり前のこととして。震災でトラウマを抱えてしまった方々が、できるだけ早く、元に戻れるよう、我々は応援し続けるべきだと思っています。

(文/布施雄一郎)



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