先日12日に多臓器不全のため他界した演出家・蜷川幸雄さん(享年80)の告別式が16日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。午後2時45分頃の出棺の際には、霊柩車が見えなくなるまで、弔問客たちは拍手を送り、故人との別れを惜しんだ。
出棺前には、前日の取材対応で気丈に振る舞い涙を見せなかった娘の写真家・映画監督の蜷川実花氏があいさつ。声を震わせながらマイクの前に立ち、父への思いなどを涙ながらに語った。
◇以下、蜷川実花氏のあいさつ
最期まで戦って、現役のまま駆け抜けた人生だったと思います。生前、口癖のように「やりたいことしかやってないので、いつ死んでも後悔はない」と話していました。本当にどの時期を、どの角度から切り取っても幸せな人生だったと思います。
ただ、父の書斎に行くと、これからやる予定だったいくつもの台本が置かれていて、それらを目にすると、あぁまだいっぱい観たかったなと、まだまだやりたかったと残念でなりません。
もう新作を観ることはできませんが、これからは残された私たちが父のあのマグマのような熱を引き継いで、ひたすら前を向いて走って行こうと思います。たくさんの皆様の愛に包まれて本当に幸せに旅立てたと思います。きょうは本当にありがとうございました。
◇
祭壇の遺影は、昨年9月に舞台『NINAGAWA・マクベス 』のけいこ場で、娘で写真家の蜷川実花氏が撮影した写真が使用され、赤と白色の花で彩られた。弔辞は俳優・平幹二朗(82)、大竹しのぶ(58)、吉田鋼太郎(57)、小栗旬(33)、藤原竜也(34)の5人が読んだ。
蜷川さんは1935年10月15日埼玉県川口市生まれ。55年に劇団青俳に入団、当初は俳優として活躍していたが、68年に劇団現代人劇場を創立し、69年に『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。日本だけではなく海外でも活躍し、世界中で「世界のニナガワ」と高く評価されてきた。
昨年12月半ばに軽い肺炎を起こし入院し、リハビリに励んでいたが、12日午後1時25分に肺炎による多臓器不全のため、死去した。80歳だった。
出棺前には、前日の取材対応で気丈に振る舞い涙を見せなかった娘の写真家・映画監督の蜷川実花氏があいさつ。声を震わせながらマイクの前に立ち、父への思いなどを涙ながらに語った。
◇以下、蜷川実花氏のあいさつ
最期まで戦って、現役のまま駆け抜けた人生だったと思います。生前、口癖のように「やりたいことしかやってないので、いつ死んでも後悔はない」と話していました。本当にどの時期を、どの角度から切り取っても幸せな人生だったと思います。
ただ、父の書斎に行くと、これからやる予定だったいくつもの台本が置かれていて、それらを目にすると、あぁまだいっぱい観たかったなと、まだまだやりたかったと残念でなりません。
もう新作を観ることはできませんが、これからは残された私たちが父のあのマグマのような熱を引き継いで、ひたすら前を向いて走って行こうと思います。たくさんの皆様の愛に包まれて本当に幸せに旅立てたと思います。きょうは本当にありがとうございました。
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祭壇の遺影は、昨年9月に舞台『NINAGAWA・マクベス 』のけいこ場で、娘で写真家の蜷川実花氏が撮影した写真が使用され、赤と白色の花で彩られた。弔辞は俳優・平幹二朗(82)、大竹しのぶ(58)、吉田鋼太郎(57)、小栗旬(33)、藤原竜也(34)の5人が読んだ。
蜷川さんは1935年10月15日埼玉県川口市生まれ。55年に劇団青俳に入団、当初は俳優として活躍していたが、68年に劇団現代人劇場を創立し、69年に『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。日本だけではなく海外でも活躍し、世界中で「世界のニナガワ」と高く評価されてきた。
昨年12月半ばに軽い肺炎を起こし入院し、リハビリに励んでいたが、12日午後1時25分に肺炎による多臓器不全のため、死去した。80歳だった。
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2016/05/16