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デビュー35周年の佐野元春、デビュー当初は「3年続けばいいかなと思ってた」

 デビュー35周年を迎えたシンガー・ソングライター、佐野元春。35年間、真摯にロックンロールと向き合い続けてきた一方で、1980年代にはすでに今に続く新たな音楽マネジメントの形を提示していたり、プロモーションにいちはやくWEBツールを取り入れたりするなど、常に時代の先を読んだ新しい挑戦を続けてきた。そんな佐野に、デビュー当時の話から常に一歩先を見て挑んできた音楽ビジネスに至るまで、様々な話を聞いた。

■「日本の音楽界を革命してやれ」と思ってとにかく気負っていた

――現在、昨年から始まった35周年アニバーサリーツアーの真っ最中ですが、デビュー当時、35年後も満員のステージで歌っているというご自身の姿を想像されていましたか?
【佐野元春】 僕は1980年にデビューしているんですが、その時に思ったのは、「3年続けばいいかな」と。最初のアルバム『BACK TO THE STREET』(1980年)と次の『Heart Beat』(1981年)が、たいして売れなかったんです。それで、もう潮時かな、と背水の陣で制作したのが『SOMEDAY』(1982年)。これが、当時チャートのBEST10に入るヒットになって、全国ツアーを行ったら、どの街に行っても、その土地の新しい世代のファンで溢れかえって、すごいことになりました。しかも、僕はテレビに出ていたわけでもないし、『SOMEDAY』は斬新な音楽だったんだけれども、全国各地の新しい意識を持った若いファンが支持してくれたことで、ようやく僕は、本当に好きな音楽が作れると思ったんです。それで1983年にニューヨークへ行きました。

――そのニューヨークで制作されたアルバム『VISITORS』(1984年)は、ラップを取り入れたりと、さらに斬新なサウンドとなりましたね。
【佐野】 リリックもそうだし、ビートに乗せる言葉の具合やテーマが、それまでの、僕の上の世代の人たちがやらなかったようなことをふんだんに詰め込んだアルバムでした。僕も若かったですからね。「日本の音楽界を革命してやれ」と思って、とにかく気負っていた。というのは、それまでの国内の音楽が退屈で、どの音楽も、自分にはピンとこなかった。だから、自分で聴きたい音楽は、自分で作ろうと考えたし、新しい世代が聴きたがっている音楽を、僕は全国ツアーを通して肌で感じたんです。そうやって作ったのが、初期の「アンジェリーナ」や、「SOMEDAY」、「スターダスト・キッズ」、「ガラスのジェネレーション」ですね。音楽だけじゃなくて、マネジメントのやり方も革命したいと思っていた。僕のように、自分で詞を書き、曲を書き、演奏し、歌うという新しいスタイルのミュージシャンが当時から台頭してきましたから、昔のままのマネジメントシステムだと、僕たちが損をしてしまう。だから、新しい時代の新しいマネジメントを僕が示すぞという気負いもあって、ニューヨークから帰国後に、レーベルを作りました。

――1986年に設立した《M's Factory》ですね。
【佐野】 それができたのも、僕の音楽を聴いてくれて、新しい試みを支援してくれるファンあってのことでした。ただ、当時の音楽業界には、まったく理解されなかったけど、今、僕が思い描いたのとほぼ近い形で、独立レーベルがたくさん生まれて、そこで良い音楽を独自の形でリリースしている。やがてこうなると、僕は思っていたんです。ちょっとやるのが早かっただけ。「マネジメント」と言うと、「ビジネスのかたい話?」なんて思われるかもしれないけど、「自分の音楽をどう伝えるか」ということです。特に僕は、タイアップやコマーシャルで売ってきたわけではなくて、レコードを作り、ライブ・コンサートをやる中で、ファンとの関係性を作ってきたので、いかにマスメディアと違うやり方で、自分の音楽を聴きたいと思っている人を探し出し、そしてどう音楽を届けていくかが、常に課題でした。そのためには、他の人がやらないような工夫が必要で、そのひとつが、インターネットでした。1996年に《moto.co.jp》という自分のドメインを取って、これがあれば、大きなメディアや企業の人たちに頼ることなく、自分の力でリスナーに音楽を届けられるようになると考えたんです。

■時代が変わっても良い音楽が求められていることは同じ

――そして現在では、音楽は実にさまざまな聴かれ方をしていますが、今の音楽の価値観について、どうお考えですか?
【佐野】 CDが売れなくなって、ダウンローディングもどうなんだろうという時代の中で、僕たちミュージシャンは制作を続けているわけです。そこで思うことは、どんなに時代が変わっても、セールスの方法が変わっても、良い音楽を作り続けることだけは変わらないということ。いつの時代も、良い音楽、つまり、良いリリックと良いメロディ、良いビートは求められているわけだから、僕ら音楽を作る側の人間は、とにかくみんなをブロウアップさせるような良い曲を作るんだということに、まず集中すべきだと思います。

――まさに音楽の本質の部分ですね。
【佐野】 それしかないと思う。どんな時代でも、剛健な曲を作り、それを欲しているリスナーに届けて、彼らにいい気分になってもらう。そのために、自分のソングライティングのスキルを磨き、演奏力を磨き、バンドと共に前進する。僕はずっとそうでした。80年代はTHE HEARTLAND、90年代にはThe Hobo King Band、2000年代はCOYOTE BANDと、僕の活動を振り返れば、常にバンドと共にありました。そして、そこにいるミュージシャンたちは、みんな優れた腕利きばかり。35年間を振り返って、そうしたミュージシャンたちと出会えたことは、僕の誇りですね。だから今回の35周年アニバーサリー・ツアーでも、80年代、90年代の僕の盟友たちが駆けつけてくれて、新しいCOYOTE BANDとジョインしたり、一緒に演奏ができて、すごく幸せだよね。

――今回のツアーでは、80年代の楽曲を、できるだけ原曲に近いアレンジで披露されているそうですね。
【佐野】 35周年アニバーサリーツアーですから、良いノスタルジーを求めて、昔のファンも集まってくれますから。普段はちょっと生活に忙しかったり、しばらく僕のコンサートから遠ざかっているファンもたくさん来てくれますから、彼らに喜んでもらうために、みんなが10代だったら頃の80年代の曲から、今の曲までまんべんなく演奏したいと考えたんです。だから当然、時間は長くなるよね。3時間半ぶっ続け。しかも僕は、喋らずにずっと演奏してるからね(一同笑)。

――そういった長年のファンと一緒に、会場には若い世代も目立ちました。
【佐野】 だから面白いんだよね。YouTubeやSNSが発達して、新しい世代が僕の古い曲や、昔のライブパフォーマンスの動画を簡単に見られるようになった。そうすると、僕も子どもの頃はそうだったけど、その音楽が昔に作られた音楽だろうが、今のものだろうが、クールなものはクールなんですよ。そういった新しい世代と、僕の音楽を最初に聴いてくれた40代、50代という世代が、どこの街のどの会場でも入り混じっている。ようやく日本でも、ロックコンサートでこういった状況が実現できるようになったんだなと感じています。

(文/布施雄一郎)



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