• ホーム
  • 映画
  • 活動20年のKiroro、絶頂期の挫折振り返る「もう納得できる歌は歌えないと思った」

活動20年のKiroro、絶頂期の挫折振り返る「もう納得できる歌は歌えないと思った」

 今年でちょうどインディーズデビューから20年を迎えるKiroro。卒業式の定番となっている名曲「Best Friend」が映画『アーロと少年』の日本語版のエンドソングに起用され、再び注目を集めている。ともに3人の子どもを持ち、現在は沖縄を拠点に、子どもたちの成長に合わせてゆったりとしたペースで活動している2人に、Kiroroとしての20年、現在の活動スタンス、子どもたちの存在がKiroroに与えた好影響など、様々な話を聞いた。

■もうこの世界に戻れなくてもいいと思ってました(玉城)

──ちょうどKiroroとしては20年(インディーズ時代から)なんですね。メジャーデビューしたのは1998年。その年に『NHK紅白歌合戦』に出場し、瞬く間にトップアーティストになったわけですけど、当時を振り返ってみていかがですか?
【金城綾乃】 Kiroro、成人式! 
【玉城千春】 あの頃は無我夢中でしたね。時々、昨日何したっけ? 今はどこにいる? ってわからなくなる時もあったほどです。1日に何ヶ所も回って歌わせていただいたりしてましたけど、本当に若かったからできたことだなと思います(笑)。
【金城】 よくやったよね〜。だけどデビューする時に「生で届けたら、きっと届く」という信念があって、「一生懸命、いろんなところに行って届けていこうね」ってふたりで約束をして上京したので、忙しかったけど、本当におかげさまのありがたい毎日でした。

──「Best Friend」はメジャーデビュー3年目でしたけど、先ほどおっしゃったように玉城さんは挫折を感じていた頃だったとか。
【玉城】 喉を痛めたこともあり、自分の満足できる歌が歌えない日々が続いて、歌うことが怖くなったんです。ステージに立つことも。その後、半年間お休みをいただいて、ライブやリリースを再開したんですが、納得いかず、怖いままステージに立ってました。綾やスタッフのみなさんは応援してくれるけど、自分は応えられない。迷惑ばかりかけてる。自分が変われば、みんなのこともまた喜ばせてあげられるのに…そんな自分が嫌で、あきらめてました。このままじゃいけない、と思ってた頃に、主人に出会って結婚するんです。それをきっかけに、生活の拠点を沖縄に戻したんですね。その時はもう納得できる歌は歌えないと思ってました。それだったらもうこの世界に戻れなくてもいい、歌を諦めて新しい生活を頑張ろうと思ってました。

──その頃、金城さんはしばらく東京に残ってソロとして音楽活動を続けられてましたけど、どのようにご覧になっていましたか。
【玉城】 キラキラしている綾がうらやましいなって思いながら見てましたね。だけど綾は綾でいろんな挫折とか、葛藤を乗り越えてきたと思うんですよ。私は他人に言うんですけど綾はなかなかそういうのを言わないタイプなので、今聞いてみましょう。綾、当時はいかがでしたか?
【金城】 えっ、突然!? すごいフリがきたからびっくりしちゃった! みんなひっくり返ったよ(笑)。

■離れて暮らしていたけど「千春の歌を聴きたい」と思ってた(金城)

──玉城さんの突撃インタビュー(笑)。では当時を振り返って、お願いします。
【金城】 そうですねぇ。でもやっぱり千春が一番辛いだろうなって思ってたので。
【玉城】 私じゃなくて、綾のこと語ってください。
【金城】 (笑)。もちろん千春が帰ってからいろいろありましたけど、与えられた環境の中でいかに自分の生活を豊かにするか、心が豊かでいられるかということと、一生懸命向き合っていたので、助けてくれる友人、家族に支えられてやっていました。ただ、お話をいただいてソロをやったりもしたんですけど、やっぱり常に千春の歌を聞きたいなって思いはどこかにありました。そうは思いつつも、お互い子育てがマックスに忙しくなって、なかなか動きづらい時期だったので……全然連絡も取ってなかったです。
【玉城】 お互いに子育てで忙しかった時期が同じようなタイミングだったのは、よかったんじゃないかなと思います。連絡取らなかった時期も、お互いにいい距離感で、それぞれに考える期間だったんだろうなって。綾には、歌えなかったときだけじゃなくて、20年ずっと支えてもらっています。

──今、Kiroroと子育ての活動のバランスはどのような感じですか。
【玉城】 活動のペースとしては8:2で、Kiroroが2くらいですね。今は映画の関係もあってKiroroの比率が少し増えていますが、ライブも子どもの行事を外して回っている状況です。
【金城】 特に4月は新学期で子どもにとってもメンタル的にドキドキな時期なので、そばにいてあげたいんですよね。そんなふうにいろいろみんなで相談しながらスケジュールを組んでいます。
【玉城】 そうやってゆっくりやってるからこそ、歌を丁寧に大切に届けようって思いがより強くなったなと思うし、何より綾と一緒に音楽ができる、そしてライブに来てくれるみなさんと時間を共有できる。それだけでも幸せなのに、今回『アーロと少年』との出会いがあって、「Best Frined」も再びクローズアップしていただいて、本当に感謝の気持ちしかないです。

──15年前の曲である「Best Friend」は、今では卒業ソングの定番の一つになりました。自分たちが昔作った曲が子どもたちに歌われているというのは、どんな心境ですか?
【玉城】 最初にふたりで曲作りを始めた時から、それが夢だったんです。届けて伝えて、伝わったら心の中に残って、そしてずっと歌い継がれていく曲を歌っていきたいね、と。
【金城】 子どもの世代、孫の世代、その先の世代……って考えると、まだまだ夢の途中ですけど、「Best Friend」やこのアルバムでまた一歩近づけたかなという気持ちですね。
【玉城】 だから歌い継いでいってもらうためにも、私たちもずっと歌っていかなきゃっていうスタンスでいます。本当にゆっくりゆっくりかもしれないけど、急ぎすぎないペースのほうが伝えたいこともじっくり伝わるのかなと思っています。

(文/児玉澄子)



オリコントピックス