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松坂桃李、戦争映画初出演での意識の変化「いまの僕ができる、数少ない役割のひとつ」

 戦後70年を迎える今夏、太平洋戦争をテーマにした映画やドラマが続々と公開、放映されるなか、映画『日本のいちばん長い日』での松坂桃李の熱演が光る。松坂が演じたのは、太平洋戦争末期、終戦に反対し、日本の未来を思いながらも、狂気にかられていく若き将校、畑中健二。将来の日本のためにすべてを捧げて生きた純粋な青年に心身ともになりきった松坂の姿は、現代の価値観や正義だけで戦争を考えるのではなく、当時の人たちの状況、気持ちに寄り添うことで理解が深まることをいまの若い世代に教える。松坂が演じたからこそ、彼の世代に伝えられることがある。松坂にとっては、初めての戦争作品となった、本作への熱く深い想いを聞いた。

「本当に悔しくて、情けなくて…」と胸の内を告白する松坂桃李(写真:鈴木一なり)

「本当に悔しくて、情けなくて…」と胸の内を告白する松坂桃李(写真:鈴木一なり)

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◆何も知らないし、知ろうともしなかった

――降伏か、本土決戦か。1945年8月15日、敗戦を伝える玉音放送が流れるまでの内閣と陸海軍、そして昭和天皇が繰り広げる緊迫の攻防が描かれた『日本のいちばん長い日』。松坂さんにとっては、初めての戦争作品になりましたが、本作のオファーを受けたときの心境とは?
【松坂】 最初は、原田(眞人)監督、そして(作品世界の)真ん中に立っていらっしゃる役所(広司)さんや、周りを囲む本木(雅弘)さん、山崎(努)さん、堤(真一)さん、大先輩の方々と一緒にお芝居ができる作品に参加したいという、役者としての意志を(自分のなかに)強く感じました。お話をいただいたときは、すごくうれしかったんですけどね……。

――「けど」?
【松坂】 最初の動機はそうでしたが、戦争映画に出演するのは初めてで、実在した畑中健二という人を演じるにあたって、僕が戦争について何も知らないということに直面したんです。70年前に起きた出来事を、僕は何も知らないし、知ろうともしなかった。本当に悔しくて、情けなくて……。そんな状態で作品に入らなきゃいけない、何も知らなかった自分に対して、嫌気がさすというのか。70年前を生き抜いた方たちのおかげで、いまの平和な僕らの日常があるのに、それを実感することもなく、何も知らずに27年間生きてきたんだなと。……だから本当に、この作品に関われたことは、役者としてもそうなんですけど、僕自身にとっても、すごく大きな意味があった。改めてこの作品に参加できたことは、大きな出来事だったと思っています。

――打ちのめされるほどの無力感から、どのように脱却し、撮影に挑まれたのですか?
【松坂】 監督からいただいた資料をしっかりと頭に入れ、軍事訓練を受けて、日常的な所作も含めた、軍人としての動きを体に取り込むことで、畑中たちが生きていた頃に流れていた時間を、自分のなかで体現する。そういう準備をして、現場に行ってからは、役所さん演じる阿南さんと対峙したときに、わき出てきた感情や気持ちを大事にしました。

◆自分の客観性が出てくるとぶれそうで怖かった

――昭和天皇のご聖断が下った後、クーデターを企てる畑中少佐にとって、陸軍大臣・阿南の存在はどのように感じましたか?
【松坂】 クランクインした日に、阿南さんとお酒を酌み交わすシーンを撮ったんです。そのとき、阿南さんに言われた「どんどん行け!」って言葉と表情が、自分のなかにずっと焼きついていて。その後の撮影中にも、ときどきフラッシュバックすることがありました。それくらい畑中の支えになったというのか、阿南さんの言葉を純粋に信じた結果、最後まで畑中を生き抜くことができたと、僕は思っています。

――最初にあのシーンを撮るとは、すごい演出ですね!
【松坂】 本当にありがたかったです。撮影中は、一瞬でも気が緩んで、自分の客観性が出てくると、畑中という人物がぶれそうで怖かった。“これでいいのか?”って、現代ならではのヘンな迷いみたいなものが、ふと出てきてしまう瞬間があったんですよね。でも畑中という人は純粋で、阿南さんの言葉を信じて疑わないまま、宮城事件を引き起こして自害するところまで行き着く。最期まで(純粋さを)保つことが、自分のなかではすごく辛いことでした。でも辛いと思った瞬間、もうつぶれてしまうので……。だからこそ、現場をちゃんと見て下さっていた原田監督のジャッジメントにどれだけ救われたか。監督の「OK!」のひと言で、自分を保っていられたと思いますね。

――畑中にとっては、正義を体現したような阿南さんとも対立し、苦しい立場に立たされますね?
【松坂】 阿南さんの口から、ポツダム宣言を受諾すると聞いたとき、いままで信じてきた真実を、目の前で無理矢理ひっくり返されたような衝撃が走りました。腹の底から、言葉にならない、とてつもなく大きな感情がこみ上げてきましたね。あのとき現場で、緊張感とともに、温かみみたいなものも阿南さんから感じることができました。70年前に起きた空気をしっかりと感じながら、演じることができた、忘れられないシーンです。

――放送会館へ乗り込んだ畑中が、マイクに向かってひとり、演説する場面も忘れられないシーンです。
【松坂】 悲しいですよね。いままで畑中の信じてきたものが全面的に否定されてしまう。後半へいくにつれて、ずっと腹のなかにとどめていた、叫びたい思い……悔しさだったり、悲しみ、どうすることもできない無力感、いろいろな感情が、大きなかたまりのなかから、どんどんわき上がってくるんです。でもどの感情よりも、畑中のなかではやはり、阿南さんの存在、父というのか、恩師、憧れ、目指すべきところというのか、本当にひとつには括れない、絶大な存在感としていちばん濃くにじみ出ていたと思います。それを頼りに、撮影に臨んでいました。

◆役者として何ができるかと考えたとき…

――完成した映画をご覧になったとき、畑中の生き方をどう感じられましたか?
【松坂】 その純粋さゆえに、間違った方向に走ってしまったわけですから、純粋ということさえ果たしていいのかどうか……。畑中は、どうして変わることができなかったんだろう? とかわいそうに思いました。

――なぜ、畑中は変われなかったのだと思いますか?
【松坂】 畑中たちが生きていた瞬間というのは、自分の意見、自分の考えを言葉にすることさえ許されなかった。「本土決戦、徹底抗戦あるのみ」と言われれば、その言葉を疑わないのは当たり前。自分で選択肢を選ぶことも、作ることもできない時代だったからこそ、彼の純粋さが狂気に変わってしまったんだと思います。

――この作品に参加したことで、役者としての意識に変化はありましたか?
【松坂】 この映画には、70年前に将来のことを考え、命を懸けて決断してくれた、大勢の方たちの姿が描き出されています。この作品に参加したことで、戦争を知らない僕のような若い世代が、戦争体験者の方々の想いや願いを、他人事ではなくしっかりと受け取って、次の世代へつなげていく必要があると強く感じました。役者として何ができるかと考えたとき、こういう仕事でもない限り、70年前の出来事を形にして、いまに発信するなんて、なかなかできることではないと思ったんです。自分の目で見て、発信し続けていくことは、いまの僕ができる、数少ない役割のひとつじゃないかと思っています。

――8月15日に放送される、終戦70年ドキュメンタリー番組『私たちに戦争を教えてください』(8月15日19時〜23時10分、フジテレビ系)では、旧日本軍がアメリカ軍と死闘を繰り広げた、南洋パラオ・ペリリュー島を訪れたそうですね?
【松坂】 実際にパラオで戦って、奇跡的に生還された土田喜代一さんとご一緒させていただいたんですが、土田さんの役をやるつもりで(取材に)臨みました。土田さんを演じるために必要な切り口を考えることで見えてくるものや、土田さんやパラオで出合った方々にお聞きしたいことがたくさん出てきました。本当に貴重な経験でした。
(文:石村加奈)

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