今年100年目を迎える夏の高校野球。甲子園史上ナンバー1ゲームとの呼び声も高い1998年の準々決勝「横浜高校×PL学園」から17年経ったいま、関係者への取材から新たに浮かび上がった真実にせまる特番『神様に選ばれた試合〜高校野球100年 知られざる奇跡の裏側〜』が、2日(後1:55〜4:30)にテレビ朝日で放送される。
横浜高校のエース・松坂大輔(現・福岡ソフトバンクホークス)が延長17回、250球あまりを一人で投げ抜き、名門PL学園との壮絶なシーソーゲームを制した一戦。試合は松坂が序盤2回裏に26イニングぶりの失点となる3失点をし、横浜の渡辺元智監督も「なんで打たれるのか? ストレートも変化球もドンピシャ。ひょっとしたら負けるんじゃないかと一瞬考えた」と焦ったという。
当時の裏話として、PL学園の三塁コーチャーをしていたキャプテン平石洋介(現・東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチ)が、キャッチャー小山良男の癖から松坂の球種を見抜き、三塁コーチャーズボックスから大きな掛け声をかけ、バッターに伝えて松坂を打ち崩したとされていた。「球種伝達」は今でこそ禁止されている行為ではあるが、当時はPL学園をはじめ多くの学校が用いていた手段でもあった。
序盤、松坂からヒットを放った大西宏明(元・横浜ベイスターズ)は「甲子園の大歓声の中では本当に一切聞こえなかった。平石の声で球種を絞ったという事はなかった」と明かす。
それでも当時の映像を確認すると、三塁コーチャーズボックスから声を張り上げる平石の姿が。バッターに伝えていたのではないとすると一体何のために声をあげていたのか? 「PL学園の頭脳」とも言われた平石氏に改めて聞くと、「大輔が崩れないので…」と知られざる真実を語りだした。それは、およそ高校生とは思えない頭脳的プレーだった。PL学園はいかにして怪物・松坂を追い詰めていったのか。
番組ではそのほかにも、PL学園のKKコンビとして3度夏の甲子園決勝に進出した桑田真澄(現・野球解説者)が、唯一黒星を喫した取手二高との一戦(1984年)を、当時の取手二高の木内幸男監督の証言などをもとに検証。「がばい旋風」を巻き起こした2007年の佐賀北高校の歴史的優勝を当時の佐賀北ナインの証言で振り返る。
横浜高校のエース・松坂大輔(現・福岡ソフトバンクホークス)が延長17回、250球あまりを一人で投げ抜き、名門PL学園との壮絶なシーソーゲームを制した一戦。試合は松坂が序盤2回裏に26イニングぶりの失点となる3失点をし、横浜の渡辺元智監督も「なんで打たれるのか? ストレートも変化球もドンピシャ。ひょっとしたら負けるんじゃないかと一瞬考えた」と焦ったという。
当時の裏話として、PL学園の三塁コーチャーをしていたキャプテン平石洋介(現・東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチ)が、キャッチャー小山良男の癖から松坂の球種を見抜き、三塁コーチャーズボックスから大きな掛け声をかけ、バッターに伝えて松坂を打ち崩したとされていた。「球種伝達」は今でこそ禁止されている行為ではあるが、当時はPL学園をはじめ多くの学校が用いていた手段でもあった。
序盤、松坂からヒットを放った大西宏明(元・横浜ベイスターズ)は「甲子園の大歓声の中では本当に一切聞こえなかった。平石の声で球種を絞ったという事はなかった」と明かす。
それでも当時の映像を確認すると、三塁コーチャーズボックスから声を張り上げる平石の姿が。バッターに伝えていたのではないとすると一体何のために声をあげていたのか? 「PL学園の頭脳」とも言われた平石氏に改めて聞くと、「大輔が崩れないので…」と知られざる真実を語りだした。それは、およそ高校生とは思えない頭脳的プレーだった。PL学園はいかにして怪物・松坂を追い詰めていったのか。
番組ではそのほかにも、PL学園のKKコンビとして3度夏の甲子園決勝に進出した桑田真澄(現・野球解説者)が、唯一黒星を喫した取手二高との一戦(1984年)を、当時の取手二高の木内幸男監督の証言などをもとに検証。「がばい旋風」を巻き起こした2007年の佐賀北高校の歴史的優勝を当時の佐賀北ナインの証言で振り返る。
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2015/08/01