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木村拓哉が語る久利生公平「自分に近い部分をさらすから恥ずかしい」

 数々のドラマ、映画に出演してきた木村拓哉が演じた役柄のなかでも、間違いなくもっとも視聴者の印象に残っているキャラクターのひとりだろう、『HERO』の久利生公平。木村は、フラットでいられる役柄としながら「自分に近い部分をさらすから恥ずかしい」という。そんな久利生への想いと、新作映画で描かれるプライベートについても語ってくれた。

◆なんでもない人たちの集まりだから

――今回、冒頭で、久利生の部屋が登場します。あ、久しぶりに、このひとのプライベートを覗いたなって。
木村 まあ、普通、なんだろうな……どっちでもないっていうか。ハイセンスでもなければ、ローセンスでもない生活を、あそこで寝起きしながらしているっていう。あのシーンは、一切カメラワークしていないんですよ。定点で撮っています。

――スキップしていきますよね。
木村 うん、時間だけがスキップしていく。あのいらないかもしれないシーンは、監督とお話しさせていただいて。あまりにもオープニングがオープニング(女性が交通事故に遭うところから始まる)なので、1回フラットにしないと、『HERO』が始まらないなと思って。なんでもないシーンで、なんでもないことをやっておかないと。基本なんでもない人たちの集まりだから。それで、あれを撮らせていただいたんです。

――ああいう日常の行程というものが『HERO』らしさであり、そこからなら『HERO』を始められる、ということですか。
木村 いまだに『HERO』というタイトルは、すごく見栄を張っていると思うんです。だって、なんの特殊技能も能力もないし。本当になんでもない人たちなんだけど、このタイトルを掲げている。でも、だから、とんでもない可能性を掲げているとも思うし。確固たる気持ちとか熱意を持っている人が『HERO』なんじゃないの? っていう群像劇だから、あくまでも。その「なんでもなさ」がなかったら、このシリーズは「もういいよ(お腹いっぱい)」ということになっていたかもしれませんね。

――『HERO』は基本チームプレーですけど、あそこは完全なひとり芝居でしたね。
木村 でも、どこかちょっとこっぱずかしいですね。

◆ライフワーク感があった

――久利生のプライベートですもんね。
木村 プライベートだから、恥ずかしさがあるっていうのは、きっと、どこかすごく自分に近い部分をさらすのと近いからかもしれないですね。

――木村さんの何かが結果的には反映されていると。
木村 どこか。そうだと思いますよ。きっと。

――ある意味、木村さん自身がフラットでいられる役柄だからできた、ということですかね。
木村 そこはけっこう、大きいかもしれないですね。今回、エンドロールに、いろいろ出てきますよね。あれを観ていて、なんかちょっとライフワーク感がありましたね。

――始まってから、14年半ですからね。
木村 いや、でも続けてきた、という感じではないですよ。いろんなタイミングもあったし、コンティニュー感はそんなにないです。「やるよ」ということで、靴ひもをぎゅっと締めた後は、自分が久利生をやるのと同時に城西支部の方たちが一堂に会することによって、その現実感は半端ないものになる。そういう、違和感のなさというか。今回、雨宮が城西支部に還ってきて、久利生と何年かぶりに鉢合わせる。あそこでのふたりの会話を見て、「鳥肌が立ちました。『HERO』そのものだと思いました」と(吉田)羊ちゃんが言ってくれたんですけど。そのときの『HERO』という言葉、その響きとかたちが、実はなんでもない定食屋さんなのに、「ビストロなんとか」みたいな看板を掲げているような。でも、入って食べてみると、「確かに美味いよね」っていう。『HERO』は、そういうものを提供できているんじゃないかな。
(文:相田冬二)



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