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ラサール石井、石井光三さんしのぶ “物まね”交えて感謝の言葉

 胆管がんのため6日に亡くなった芸能プロダクション・石井光三オフィス会長の石井光三さん(享年83)の訃報を受け、同事務所所属のタレント・ラサール石井が13日、都内で会見を行った。「コント赤信号は、石井光三さんがいなかったらいない。4人で赤信号ってずっと言っていて…。ここまで育てていただいて、生きてこられたのは社長のおかげ。絶対超えられない人です」と恩人への感謝を語った。

石井光三さん訃報を受け、会見を行ったラサール石井 (C)ORICON NewS inc.

石井光三さん訃報を受け、会見を行ったラサール石井 (C)ORICON NewS inc.

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 ラサールは、コント赤信号のマネージャーとしても関わりのあった石井さんについて「10数年前から重い荷物を持って、靴を減らして歩きまわって営業をしていた。そのせいか頚椎のヘルニアになりまして、足と手が不自由になってつえを使っていた。2年位前には胆管がんを患いましたが、痛んだり苦しんだりというわけではなく、天寿をまっとうした」と説明。

 最期には間に合わなかったが「葬儀は身内の者と所属のタレントだけで、タレントは仕事の調整するなと言っていました。理想は、忙しくて誰も来れないこと。葬儀では、コント赤信号3人そろってお棺を担いで見送りました」と涙を堪えて報告した。

 石井さんとの出会いを振り返り「ストリップ劇場でコントをやっているときに観に来てくれた。『君らおもろいな』って言ってきて、なんだこのおじさんはと。まさかマネージャーになって社長になるとは。あっという間にスケジュールが真っ黒になった」と手腕に感謝。『オレたちひょうきん族』でも披露していた石井さんの物まねを何度も交えながら「社長は、タレントとしてのギャラは自分のものにしなかった。事務所の準備金にしていた。人間としてもああいう人に会ったことはない」と思い出を語った。

 石井さんは1946年に東横映画京都第1期ニューフェースに選ばれ、1963年に松竹芸能入社。その後、1983年に石井光三オフィスを設立し、2006年に会長に就任。個性的なキャラクターが話題となり、『オレたちひょうきん族』『ルックルックこんにちは』などのテレビ番組にも出演した。

YouTube公式チャンネル「オリコン芸能ニュース」

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