今年4月に急性心不全のため亡くなった俳優・三國連太郎さん(享年90)の「お別れの会」が19日、東京・六本木のグランドハイアット東京にて営まれ、喪主を務めた長男の佐藤浩市が報道陣の取材に応じた。
同会に『三國連太郎 海峡を渡る日〜お別れの会〜』という題名をつけることを発案した佐藤は「(三國さん出演映画)『飢餓海峡』という映画が印象深かったのと、現世から来世へ三國が渡っていくのが頭に浮かんだ」と理由を説明。「一区切り100ヶ日を迎えて、あちらに行くんだろうな。こういう送られ方でどう思うかわからないけど、役者らしい送り方はできたんじゃないかな」と安堵した。
佐藤は、三國さんが主演した舞台『ドレッサー』での「役者というのは記憶の中に残りたがる」というせりふについて触れ「人の心に残りたいっていうのは、浅ましくもミゼラブルな考えではあるけど、そういうところを拠り所にしないと役者は生きていけないという弱々しさを認めるということが自分と向き合うことであって、生々しい人間を演じるということなんだという想いを込めて、三國が言っているような気がした」と、父の言葉を噛み締めた。
三國さんが亡くなった当初は「ひどい父親だった」と語っていた佐藤は「それは今でも変わらない」と笑いつつ「それ以上に僕に残してもらったものがある。僕がここに立って、やりたいと思える芝居をやれるのは三國連太郎という人がいたから」と感謝。確執が伝えられていた2人だったが「彼から受け取ったものは父親としての人生より数倍濃厚なものだったかもしれない。自分がどこまで理解しているかわからないけど、それを自分の中で守って行きたい」と瞳を潤ませながら、しみじみと故人を偲んだ。
最後に報道陣から「三國さんについて改めて思い出される表情や言葉は?」と聞かれると「ないなぁ! その方が、らしくていいでしょう」と笑顔をみせていた。
また、納骨は「まだ」といい「納骨の中で、散骨はあるかもしれないけど、基本的には納骨します」と話していた。
同会に『三國連太郎 海峡を渡る日〜お別れの会〜』という題名をつけることを発案した佐藤は「(三國さん出演映画)『飢餓海峡』という映画が印象深かったのと、現世から来世へ三國が渡っていくのが頭に浮かんだ」と理由を説明。「一区切り100ヶ日を迎えて、あちらに行くんだろうな。こういう送られ方でどう思うかわからないけど、役者らしい送り方はできたんじゃないかな」と安堵した。
佐藤は、三國さんが主演した舞台『ドレッサー』での「役者というのは記憶の中に残りたがる」というせりふについて触れ「人の心に残りたいっていうのは、浅ましくもミゼラブルな考えではあるけど、そういうところを拠り所にしないと役者は生きていけないという弱々しさを認めるということが自分と向き合うことであって、生々しい人間を演じるということなんだという想いを込めて、三國が言っているような気がした」と、父の言葉を噛み締めた。
三國さんが亡くなった当初は「ひどい父親だった」と語っていた佐藤は「それは今でも変わらない」と笑いつつ「それ以上に僕に残してもらったものがある。僕がここに立って、やりたいと思える芝居をやれるのは三國連太郎という人がいたから」と感謝。確執が伝えられていた2人だったが「彼から受け取ったものは父親としての人生より数倍濃厚なものだったかもしれない。自分がどこまで理解しているかわからないけど、それを自分の中で守って行きたい」と瞳を潤ませながら、しみじみと故人を偲んだ。
最後に報道陣から「三國さんについて改めて思い出される表情や言葉は?」と聞かれると「ないなぁ! その方が、らしくていいでしょう」と笑顔をみせていた。
また、納骨は「まだ」といい「納骨の中で、散骨はあるかもしれないけど、基本的には納骨します」と話していた。
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2013/07/19