• ホーム
  • 音楽
  • アメリカからの視点で描かれた初の「はっぴいえんど」論

アメリカからの視点で描かれた初の「はっぴいえんど」論

 米シカゴ大で日本の近代文学を専攻するマイケル・ボーダッシュ氏による、日本ポピュラー音楽の研究書『さよならアメリカ、さよならニッポン』(訳:奥田祐士)が白夜書房から出版された。萩原健太×湯浅学による解説対談や原注も含めると400ページに及ぶ大書は、執筆期間14年に及んだという。著者へ取材を行い、同書の意義を分析した。

 先頃、美空ひばりのアメリカ公演でのライブ録音が62年ぶりに発見されるというニュースが報じられた。カナダ在住の録音機器コレクターが所有していた旧型の針金式録音機の中にその音源が残されていたことを、米シカゴ大准教授のマイケル・ボーダッシュ氏が自著を執筆する調査過程で発見に至ったという。近代日本文学を専攻する氏は日本のポピュラー音楽にも造詣が深く、この度出版されたその研究書では、戦後まもない音楽解放期から、バブル期におけるJポップ時代到来に至るまでの流行音楽についての論考が細かな事例を挙げながら展開された労作である。

 イントロダクションに続く第1章では服部良一と笠置シヅ子を中心に。黒澤明監督にも比重が置かれた視点が斬新である。その延長ともいえる第2章は笠置を橋渡し役として美空ひばりに言及する。さらに第3章では坂本九とロカビリー、第4章ではグループサウンズに触れ、本書のタイトルの源となった第5章のはっぴいえんどに関する論述となる。ちなみに本書の邦訳版が実現したのは、大瀧詠一関連の書籍を多数世に送り出してきた白夜書房の藤脇邦夫氏の奔走によるものであったことを付記しておきたい。この章ではユーミンについても書かれており、その後、彼女も大躍進を遂げるバブル期の音楽に照準を合わせたクライマックスの第6章へと行き着くのである。

■自国文化に対する意識の低さをも認識させられる日本ポピュラー史

 今回、来日中のマイケル氏の話の中で印象的だったのは、日本に来て研究に着手するにあたり、その専門書を探そうとしたところ、参考になる文献が見つからなかったということ。研究という視点から日本のポピュラー音楽を取り扱う人間が殆ど皆無だった状況に驚き、少なからず失望したという。そこで氏は国会図書館に通い、マイクロフィルムにあたって記事を収集したそうである。それを聞いて必然的に想起したのは、海外から再評価を促された黒澤明や小津安二郎監督の映画や、海外のコレクターに触発されて評価を拡大した浮世絵といった、自国の文化に対する日本人の意識の低さ。本書はそこに警笛を鳴らす意味でも意義ある一冊ではなかろうか。さらに今回発見された件の音源も一部聴くことが出来たが、思っていた以上に素晴らしく、美空ひばりだけでなく山口淑子や笠置シヅ子らの歌声がクリアに保存されており、服部良一氏の肉声までもが記録されているのに驚かされた。これらを最良の形で音盤化させて後世に遺してゆくことは、文化事業に携わっている者たちにとっての急務と思う。一刻も早い対応を。

 また、面白かったのは、本書の執筆は章立ての順にあらず、最初に書かれたのは、CHAGE&ASKAに触発されての第6章であったという事実。並行して論じられる石原慎太郎氏の当時のベストセラー『「NO」と言える日本』が、CHAGE&ASKAのミリオン・ヒット「SAY YES」の対比になっているところに、ニヤリとさせられる。同章は本書で唯一、アーカイブではなく、マイケル氏の原体験に基づくものであるという点がポイントなのだ。最後に、本書で採り上げられなかった日本の音楽で、今最も興味のあるアーティストは誰かと氏に問うと、即座に“ザ・ピーナッツ”という答えが返ってきた。今後また新たな研究成果が届けられるに違いない。その日まで、この『さよならアメリカ、さよならニッポン』が少しでも多くの日本人に読まれ、数少ない音楽の啓蒙書として流通され続けていくことを願うばかりである。無論、日本人の研究者だって負けてはいられないのだが。(オリジナル コンフィデンスより)

マイケル・ボーダッシュ氏:シカゴ大学の近代日本文学准教授。著書に『The Dawn Never Comes:ShimazakiToson and Japanese Nationalismがあり、夏目漱石『文学論』、亀井秀雄『感性の変革』の翻訳担当編集者を務めている。



オリコントピックス