ORICON STYLE

2010年05月26日
熊谷育美 Special Interview
夢をあきらめた後に溢れてきた感情、生まれた曲
嬉しさよりも恐怖感が強かった(笑)

――最初に映画主題歌の話が決まったときの心境を聞かせてください。
【熊谷】 全然信じられなかったですよ。しかも、多くのファンの方がいらっしゃる作品で、10周年の集大成になるっていうのも聞いていたので、私がいきなり入ってもいいんだろうかっていう怖さがありましたね。私でいいんだろうかっていう申し訳ない気持ちの方が先にあったくらいです(笑)。

――(笑)公開中の映画に続き、先日オンエアされたスペシャルドラマでも流れていました。
【熊谷】 私も観ました!いまだになんか不思議な感じがするんですよね。今も実感が全然ないんですけど、ライブをやるたびに以前よりも多く人が集まってくれるのを目にして、今まで私のことを知らなかった人にも届いているんだなっていうことを徐々に感じてはいて。だから、最初は嬉しさよりも恐怖感の方が強かったですけど(笑)、自分も好きで観ていた作品に参加させていただけたことは本当に光栄だし、多くの人に聴いてもらえるきっかけもいただけて良かったなって思っていますね。

――「月恋歌」は映画のために書き下ろした曲なんですか?
【熊谷】 いえ、今から5年くらい前、19才のときに作った曲なんですけど、本当に私の意図していないところで堤(幸彦)監督に気に入っていただけて。もともとは、プロのシンガー・ソングライターになるのをあきらめて、東京から地元である宮城県の気仙沼に帰ってきてすぐにできた曲だったんです。

生まれ育った土地や人との出会いの貴さ

――この曲が生まれるまでの過程をもう少し詳しく教えてください。
【熊谷】 3才から高校2年生までクラシックのピアノを習っていて。曲を作り始めたのは14才のときなんですけど、最初は、歌詞というよりも、言葉の断片をノートに書き連ねるみたいな感じで、誰にも言えない悩みや悲しみを書いていたんですね。最初は書くだけだったんですけど、いつも側にいるピアノが聴いてくれているっていう感覚で曲を作るようになって。だから最初は、うまく馴染めない学校生活の悩みを吐き出すための逃げる場所だったんです。どちらかというと自分の汚い感情というか、人には言えない部分を曲にしているので、人前で歌うっていうつもりも全然なくて。

――それがどうしてプロを目指すようになったんですか?
【熊谷】 いよいよ学校生活がイヤになったので、自分から辞めようって思ったんですね。でも、学校を辞めたと同時に、人生の保険がなくなった気がしたんですよ(笑)。そこで、「ああ、私には音楽しかないんだ」って思って上京して、ライブハウスで月に1回は歌うようになって。でも、曲が全く書けなくなったんですよ。時間の流れ方も速いし、気仙沼のような自然もないし、自分が埋もれていってしまう感じもして。すれ違っていく人たちが私を見ているわけでもないのに、どこか着飾ってしまう自分がいたし、たくさんの人がいるのに、「私はここにいます!」ってどれだけ叫んでも届かない虚無感も感じて。

――そして、1年間で気仙沼に帰ることを決意するわけですよね。そのときにできた「月恋歌」に込めた想いとは?
【熊谷】 帰る=あきらめる、ですからね。私はもう気仙沼で静かに暮らしていこうって思ったんです(笑)。でも、いざ、帰ってみたら、自分ではコントロールができないくらい曲が溢れてきたんですよ。一度、上京したことで、気仙沼の風景の美しさや家族のありがたみにも気づいたし、人として普通に生きていくことってすごく大変なことなんだなってことも身に沁みて分かった。だから、この曲には、私が生まれ育ってきた土地の風景や、人との出会いの貴さが沁み込んでいるんですよね。私にとっては、大切な人への気持ちをストレートに書いた曲でもあるので、聴いてくれた人にも何かが伝わったらいいなと思いますね。

(文:永堀アツオ)
Release

月恋歌
熊谷育美
発売日:2010/05/05[シングル] 価格:\1,000(税込)
タクミノート 品番:TECG-28

Profile

1985年5月生まれ。宮城県気仙沼市出身・在住。
この土地で育まれた心や情景を唄にするシンガーソングライター。羽毛田丈史プロデュースにて2009年1月21日シングル「人は皆、不甲斐ないね」でインディーズデビュー。
2009年11月18日、シングル「人待雲」でメジャーデビュー。
2010年3月24日、シングル「帰りたいよ」をリリース。
2010年5月5日、シングル「月恋歌」をリリース。

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PV「かみさまでもえらべない。」