ORICON STYLE


2004年7月28日
Kevin Lyttle ORICON STYLE COMMENT
  ケヴィン・リトル
  カリブの熱い歌声で日本列島を揺らすケヴィン・リトルが来日!
 1976年9月14日生まれの27歳。セント・ビンセントおよびグレナディーン諸島出身のソカ・シンガー。中学の頃から音楽の世界のプロになるという夢を持ちつつも、生活のため、カレッジへ進学し、卒業後はお堅いサラリーマンに。その一方で、自宅て曲のアイデアを書き溜め、音楽への夢も捨てなかった。2001年、「ターン・ミー・オン」を書いた彼は、地元のプロデューサーであるエイドリアン・バリーと共にこの曲をレコーディング。同曲はエイドリアンが監修するコンピレーションに収録され、地元のフェスティバルで披露され、またたく間にカリブ諸国を席巻。そんな彼の才能は注目を浴び、ショーン・ポール、ウェイン・ワンダー等のツアーを手掛ける、ダンスホール・シーンの大手マネージメント/コンサート・エージェント会社のバックアップも受けることになる。カリブ諸国をはじめアメリカ、イギリスをツアーし、各地でオーディエンスを熱狂させたケヴィンは、結果、昨年の「Reggae/Soca Award 2003」では、Soca Male ArtistとSoca Songを受賞する。彼自身2曲目のレコーディングだったと言われる「ターン・ミー・オン」は世界中のダンスホール・シーンで大ブレイク。2003年末にシングルがメジャー・リリースされたイギリスではシングルチャートで初登場2位、その後7週間TOP10にランクインという快挙を達成。ご承知のとおり、日本でもメガ・ヒットとなり、さらにアメリカでもこの夏ついにベスト10入り! 目下絶好調だ。
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ケヴィン・リトル
『ケヴィン・リトル』
アルバム
2004.5.12/\2,520(税込)
WPCR-11843

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カリプソとソウルミュージックがミックスしたソカと、ダンスホールがボクのカルチャー

 デビューアルバム、『ケヴィン・リトル』を引っさげ、ソカ・ミュージックを日本にも浸透させるべく、ケウ゛ィン・リトルがプロモーション来日した。セント・ヴィンセントの貧しい家庭に生まれ、苦労を重ねながら音楽活動を続け、ついに「ターン・ミー・オン」で世界中をその甘い歌声の虜にさせたケウ゛ィン。日本人にはまだ馴染みの浅いセント・ヴィンセントについて、また、アルバムリリースまでの彼のヒストリーをあらためて語ってもらった。
――初来日ということですが、日本の印象はどうですか? 
【ケヴィン・リトル】 「日本は大好きだよ。なぜなら、日本はオレの生まれ育った所に似てるんだ。天気がよくて暖かいし、みんなフレンドリーだし、趣があるしね。それに、ハイテクだよね。建物もすばらしいよ。街は完璧に整備されてるし。いい国だと思う」

――あなたの生まれ育ったセント・ヴィンセントについて教えて下さい。

【ケヴィン・リトル】 「セント・ヴィンセントはウェスト・インディーズ(西インド諸島)の一部で、セントルシアとグレネダの間にある島で、バルバドスの真横に位置してる。セント・ヴィンセントは日本と比べると小さな島で、133平方マイル(約344平方km)に11万人が住んでいる。とてもすばらしい所だよ。メインのセント・ヴィンセント島の他に、たくさんの島があって、ビーチや滝とか観光名所もたくさんある。あと、セント・ヴィンセントには、カリブの中で一番大きな火山があるんだ」

――では、あなたにとってソカ・ミュージックとは?

【ケヴィン・リトル】 「ソカはカリプソとソウルミュージックのミックスで、カリブの人たちは全員聴いてるよ。ソカはボクのカルチャーの音楽だ。ソカとダンスホールを聴いて育ってきたから、自分の基盤とも言えるね」

――14歳の時にグループを結成したそうですが、それはどんなグループだったのですか?

【ケヴィン・リトル】 「12人の男の子のグループで、ショウの時は、3つのグループに分かれるんだけど、まずショウの頭は12人全員で歌って、その後、8人が後ろに下がって、残りの4人が歌うんだ。で、その4人が下がって、他の4人が前に出て来て歌う。で、それを繰り返したり、時には12人全員で歌う。高校の卒業式でパフォームするために校内で組んだグループだったんだけど、実力を認められてたよ。女の子たちからもすごい人気だった。その後は、別のバンドに入ってパフォーマンスしてた」

――大学を卒業して税務局で働いている間も、地道に音楽活動を続けていたそうですね?

【ケヴィン・リトル】 「(働いてる間は)家でヴォーカルトレーニングをしていたんだ。あとはダンススクールのパフォーマンスも続けてた。ショウに出たり、フェスティバルで踊ったり、国を代表して海外のフェスティバルで躍ったりしたよ。家が貧しくて、母親を助けなきゃいけなかったから、昼間の仕事を続けてたんだ」

簡単にここまで来たわけじゃないんだ。でもそれで良かった。簡単に得た物は長続きしないから

――2001年にVPレコードのコンピレーションに「ターン・ミー・オン」が収録され、カリブ諸国でヒットしたというのは、あなたにとって大きなステップだったと思いますが、この曲がその2年半後にこれだけ世界中でビッグになると思っていましたか?
【ケヴィン・リトル】 「こんなになるなんて思ってなかったよ。だって、世の中には、セント・ヴィンセントのことを知ってる人も、そんなにいないわけだからね。オレはこのチャンスをいかして、自分の夢をかなえるために、一生懸命働いた。自分が納得いく声が出るまで努力したし、マネージャーのアリソン・ハントも、オレがアーティストとして成長することにものすごく力を注いでくれた。「ターン・ミー・オン」という曲だけでなく、オレの名前を広めようとしてくれたんだ。今のオレがあるのは、そのおかげだよ。アトランティックと契約するまでの2年間、呼ばれれば、どんな小さなクラブでも、街でも行った。契約もないのに、VIBEマガジンにもフィーチャーされたよ。カナダでは国際的なポップスターになったし、ツアーもした。マイケル・ジャクソンとかアリシア・キーズがパフォームするオランダにあるコンサート会場でもパフォームして、チケットもすごく売れたんだ。それから、イギリスでチャート・インして、アメリカでも50セントやバスタライムズ、リル・キムと一緒にショウに出た。それで、アトランティックレコーズの目に留ったんだ。だから、簡単にここまで来たわけじゃないんだ。でも、それで良かったと思ってる。簡単に得たものは長くは続かないからね。それに、オレは働くのを楽しんでるからね」

――では、アーティストとしてのあなたのゴールは何ですか?

【ケヴィン・リトル】
 「ソカ・ミュージックを一つの音楽のジャンルとして世界中に広めることだね。グラミーでカリビアン・ミュージックの部門ができて欲しいよ。ニュー・ダンスホール・アーティスト・オブ・ジ・イヤーとか、ニュー・ソカ・アーティスト・オブ・ジ・イヤーとかね」

――夏の予定は? ツアーなどはあるのですか?

【ケヴィン・リトル】 「アメリカにいることが多くなると思う。プロモーションでLAやアトランタ、ミネソタでショウをする予定だよ」

(インタビュー・文:松田敦子)
Live report
熱気ムンムン、フェロモン全開のケヴィン・リトル、来日ライブ
 暑い、暑い夏。この目で確かめた生ケヴィンも熱かった。大阪、名古屋、東京の3カ所だけのお披露目イベントとあって、時間も少なめではあったけど、それでも盛り上げる、盛り上げる。ケヴィンのエンターテナー魂には、マイッタね。ステージを見上げるフロアーでも、たっぷりと気持ちのいい汗をかかせてもらいましたゼ。
 夜の7時半すぎにイベ ントはスタート。日本の女性2人組サウンド・クルーのHEMO&MOOFIREに、あのダンスホール・クイーン、JUNKOも加わってのオープニング・アクトでウォーミングアップは万全。いよいよ登場したケヴィンは、いきなり「ターン・ミー・オン」でスタートし、会場も一気に興奮の渦。“Turn Me On”の大合唱とともに、揺れる人波、飛び交う黄色い歓声。ケヴィンは、サポートとして同行したDJ/MCのスプラガ・ベンツとトゥイッチとともに、強烈なヴァイヴで観客を包み、会場はいやが上にもヒートアップ!
 6曲ほど歌ったところで前半終了。彼への質問コーナーやファンへのプレゼントなどがあって、後半戦へ。「ターン・ミー・オン」に代表されるシルキーでスムーズなボーカルと洗練されたサウンドから、CDでは繊細ささえも感じられるケヴィンだが、この後半は男っ気ムンムン。「日本の女の子、カワイー!」なんてフェロモン攻撃もしつつ、タフでパワフルな歌を次々と繰り出す。ターンテーブルから叩き出されるビートもヘヴィでタイト。マッチョなパワー全開のスプラガのMCも含めて、三位一体となった超強烈ダンスホール・イベントとなった。このプリミティブでワイルドなパワーこそケヴィンの本質、と見た。

(7月16日、東京・渋谷DUOMUSIC EXCHANGEにて/高橋礼三郎)
(Photo:Teppei)

※ ワーナーミュージック・ジャパンのR&B/レゲエ・ポータルサイト“THE FINEST” http://thefinest.jp/ にケヴィンの来日フォト日記掲載中! 近々、先日のライブから3曲をフルで公開予定です。