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石崎ひゅーい『圧倒的な個性と音楽性を持つ驚くべきニューカマーが登場!』
なんとなく、中学3年生の頃から音楽を――
石崎ひゅーいうーん、中学3年生くらいかな。バンドをやり始めたのが、それくらいなので。最初はただ、歌わされていた感じで、そこまで音楽に興味があったわけではないですね。
――では、そのころに好きだったことは?
ひゅーい何だろう?あ、そうだ。ボーイスカウトに入ってたんですけど、それはすごく楽しかった!世界スカウトジャンボリー(世界中のボーイスカウトが参加するキャンプ大会)っていう大会に参加して、1週間キャンプして、歌も歌ってましたねー。たとえば…(と、カントリー調の歌を歌い始める)。
――確かに楽しそう(笑)。ちなみに勉強は……?
ひゅーい勉強はやってないですね。何も考えてなかったというか、“風に流されるまま、そのまま行け!”みたいな感じだったので(笑)。ただ、バンドは続けてたんですよね。中学3年生のときからライブハウスに出演してました。オルタナとかミクスチャーロックっぽい音で、英語で歌ってたんですけど、けっこう人気もあったんですよ。あれが人生の絶頂期だったかも(笑)。有頂天になって、“売れちゃうな”って思って東京に来たんですけど、これがぜんぜんダメで。なめてたんですよね、たぶん。意味もわからないのに、英語で歌ったり……。
同じようなことを感じている人の近くにいられるような歌を歌いたい
ひゅーいそうですね。まず、日本語で歌詞を書くようになりました。最初は(日本語を)メロディーに乗せるのが難しかったんですけど、少しずつ日本語の素晴らしさに気付きはじめたんですよ。たとえば“木漏れ日”もそうですけど、風景とか情緒を感じられる言葉がたくさんあって。逆に“ここは意味よりもリズムのほうが大事”ということもありますね。
――なるほど。言葉とメロデイーの組み合わせが個性的で、独特のグルーヴがあるんですよね、ひゅーい君の曲は。デビューミニアルバムのタイトル曲「第三惑星交響曲」は、いつくらいに書いたんですか?
ひゅーい数年前、母親が亡くなったときですね。最初は“お母さんが死んで悲しい。まだ何も言ってないのに”っていう暗い曲を書いちゃったんです。それもいい曲なんだけど、自分で聴いたときに、すごくイヤだったんですよね。で、“これは違うな”と思って、「第三惑星交響曲」を作りました。
――「第三惑星交響曲」は高揚感があって、聴いていると気分が上がるような曲ですよね。
ひゅーいそうですね。そのほうが(母親が)喜んでくれるかなって。歌詞の内容もすべて思い出です。
――<みんな泣き疲れて眠りの中/月の裏めがけて/スペースシャトルがいく>という歌詞もそうですけど、実際の出来事とブッ飛んだ想像力がいっしょになっているのもおもしろいな、と。
ひゅーい自然とそういうふうになっちゃうんですよ。“何かと何かをくっつける”みたいなことはぜんぜん考えてなくて、思い出しながら書いてると、こういう感じになるっていう。……実際に経験したことじゃないと、曲にできないんですよ。何もなくて、“つまんねえな”って思ってるときは、ぜんぜん曲が書けないし。
――個人的な思い出や感情から生まれた歌がたくさんの人に聴かれるのって、どういう気分ですか?
ひゅーいもちろん、嬉しいですよ。人を元気づけたいとか感動させたいっていう気持ちは特にないんですけど、俺と同じようなことを考えたり、感じてる人はきっといると思っていて。そういう人の近くにいられるような歌を歌いたいんですよね。
(文:森朋之)
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