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韓国映画特集『2014年上半期の韓国映画シーンと制作現場のウラ事情!社会学的に切り込む』

今や映画ファン層全体から熱い視線を集める韓国映画。この夏〜秋も多くの話題作が日本公開されるなか、韓国映画界の2014年上半期の動向を掘り下げる。『怪しい彼女』のファン・ドンヒョク監督に韓国映画界の裏側と監督業の実態を聞いた。さらに日本映画大学のハン・トンヒョン准教授に、韓国社会と今の韓国映画の傾向、それを生む社会学的な背景を語ってもらった。韓国映画と韓国社会にエンターテインメントの側面から切り込む。

[対談3]◆社会問題の娯楽化に加わった、個人的な物語の要素

【西森】 それ以外でも、韓国の若者に変化があるようにも見えるのですが。例えば、韓国の男の子がマッチョではなく、みんなすごく線が細くなっていたりとか……。でも、韓国では、映画のなかに「非モテ」表現みたいなものはまだ見つからないですよね。アメリカや日本ではあるし、台湾でもそういうものは出てきています。
【韓東賢】 圧縮近代という言葉があるのですが、韓国社会の変化って圧縮されているので、もしかすると、社会の問題を「自意識」の問題にするような「余裕」がなかったのではないかと思うんです。たとえば、戦後に国が成長して近代化がある種の完成を遂げて、さらに停滞局面に入っていくとき、日本ではその間の時間がけっこう長かったからこそ、豊かで余裕があった時代に、停滞期の問題を貧困や労働といった生活に直結した深刻な経済的な問題としてとらえるよりも、個人主義的な自意識の問題としてとらえるような枠組みのようなものができてしまった。よくも悪くも、です。

 でも韓国の場合は、近代化してから停滞期までの時間が相対的に短かったから、自意識の問題としてとらえる枠組みができる間もなく、貧困や労働問題がリアルなものとして過去と直結した、継続した問題としてとらえられているのではないかとも思えるんですよ。見ため的には、たとえば男の子たちの線も細くなってきているし、日本人と変わらなくても。

【西森】 そう考えると、アメリカや日本は自分の不遇さを貧困とかではなく、人にどう見られるかで判断して、それが犯罪につながったりすることもある気がしますね。逆に『テロ,ライブ』では、犯罪者の動機は、貧困や労働、政治腐敗に対するものとして描かれていました。
【韓東賢】 やっぱり映画は社会、そしてそれをとらえる人びとの意識の反映ですから。逆に日本で「自意識」がエンターテインメント化されることは、日本の社会において「個人」や「自意識」が重要だととらえられている、ということですよね。韓国にも「非モテ」はいるはずなのに、「それでいい」とはなりにくいのではないかと。

 「非モテ」という言葉があり、それを自称するということは、それがたとえ自虐であっても、そういう自己を肯定したいという欲望の反映ですから、そのような複雑な自意識の管理が全面的に要請される社会ではないのかもしれません。その辺は、もっとシンプルというか。

【西森】 ある意味、多様性はないのかもしれませんね。でも、多様性がない変わりに、韓国では、何かひとつの大きなものが共有されているのかなと思ったりするのですが。
【韓東賢】 抽象的になるかもしれませんが、「義」とか「理」のようなものですかね。正義、大義、論理、理屈というか。『サスペクト』でも、たとえ悪人であっても、登場人物それぞれに大義や理屈がある。でも、今の日本でこういう部分をそこまで描くと嘘っぽくなってしまうところもある。とはいえ同時に、韓国ではそのような義や理の源というか、つまり、正しいのか間違っているのかを裁けるお上のような者は存在しない、というのもひとつの感覚のような気がするんですよ。

 「義」や「理」は個々のなかにあるというか。別の言葉でいうと、共有されている大きな「建前」は厳然として存在しているけれど、それが杓子定規に社会で通用するわけではないというのも知っている。だからこそ「建前」が重要。「ポリティカル・コレクトネス」と言い換えてもいいかもしれません。

【西森】 そうですね。『テロ,ライブ』でも、マスコミが信じられない、国も信じられないということが描かれていました。そういう意味で、同作はセウォル号の一件をすごく思い出す映画です。
【韓東賢】 セウォル号の事故は、韓国社会全体が社会のあり方そのものを問い直す大きなきっかけになっているように思います。ある意味、ポン・ジュノ監督もずっと同じテーマで、韓国にとっての近代化という物語、言ってしまえば経済発展や政治システムや社会の変化、またアメリカという存在を問い直す視点で映画を作っています。年代的にポン・ジュノ監督は終わりの方ですが、「386世代」と言って、学生運動に一番熱心だった世代なんです。

 同じ世代が今、映画制作やマスコミの現場のトップに立っていて、メディアが社会を変えられると信じている人は少なくない。同時に彼らは、エンターテインメントの力を誰よりも知っているし、勉強もしていて実力もある。さらに近年、映画界で台頭しているのはさらにその下の世代です。

【西森】 それはどういうことでしょうか?
【韓東賢】 『シュリ』『JSA』あたりから、南北分断や厳しい国際情勢、政治的な問題を娯楽化することに長けてきた韓国映画ですが、そのような流れに加え、最近ではさらに、内外の過去の作品から貪欲に学びながら個人的な物語もきちんと盛り込み、そこに落とし込むことで、ある種の「ポリティカル・コレクトネスのエンターテインメント化」をより洗練させることができたのではないでしょうか。当初の、どこか肩に力の入った感じから少し離れて距離を取れるようになった、使いこなせるようになった、ということかもしれません。

 とはいえ完全に離れたわけではなく、離れられない。だとすると、内外からとにかく学ぶことで、ジャンルやテーマを広げながら個人的な物語の方向に向かいつつも閉じなかったこと、先ほどの「圧縮」の話とも絡みますが過去から切れなかったこと。このふたつが、カギになっているのかもしれないですね。
(文:西森路代)

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<<目次リンク>>
・特集本文 [1] [2] [3]
・ファン・ドンヒョク監督インタビュー [1] [2] [3]
・ハン・トンヒョン准教授 対談  [1] [2] [3]
・レビュー&予告編 [1]

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