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京都「園部城」は日本最後の城!マリオの山も話題!?


日本の城郭建築史上最後と言われるお城が京都にあったことをご存知でしょうか。その城とは園部城。なんと明治になってから完成したというお城で、現在は原型を留めていませんが城址の上に立つ園部高校にその遺構が一部残されています。そんな園部城はお城ファンだけでなく、何故かゲームファンにも有名な存在なのです。

クールすぎる校門は城門!?

写真:bow

なかなか凛々しい櫓と櫓門。この画像をご覧になって「どこのお城かな?」と思われる方も多いことでしょう。実はここ、何を隠そう学校なのです。京都府中部に位置する南丹市園部町。そこにある京都府立園部高等学校、ならびに付属中学校の校門はご覧の通りまるでお城の門のようなカッコよさ!それもそのはず、校門はお城の門そのもの。この学校はお城の跡に建っているのです。

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実はお城の跡に建っている学校というのはそれほど珍しいものでもありません。全国各地にそういった学校は多々あるのですが、お城の建造物が現存しているケースとなるとかなり少なくなります。
さらにこの園部高校のように城門を校門として現役で使用している高校ともなると全国でもたった6校しかないのです。いや、むしろ6校もあるということに驚いた方がいいのかもしれませんね。

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校門の脇にある櫓の直下にはテニスコートと、なかなかのミスマッチ具合。いや、逆にかなりクールな絵柄を楽しめる学校なのです。

日本最後の城!園部城

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そんな園部高校はかつてこの地にあった園部城の跡に建っています。学校じたいが丸ごと史跡の上にあるという形。そして前述の通りその遺構が校門として活躍しているのですが、園部城の建造物が現存している理由の一つに新しいお城であるという点があります。

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この園部の地は江戸幕府が開かれてから、国替えによって但馬国出石より移封となった初代藩主・小出吉親が1619年に起こした園部藩の地。小出吉親はこの地に築城することを江戸幕府に願い出たのですがその許可は下りなかったため、天守や櫓を持たない陣屋として築いたのです。
幕府からは「城」を名乗ることは許されなかったのですが、あくまで城として建築予定だったためにその構えはお城のように本格的なものだったそう。この思いは子子孫孫にいたるまで受け継がれていくことになります。

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そして様々な紆余曲折を経て、園部城が完成をみたのはなんと明治維新後の1869年。それゆえに園部城は日本最後の城郭建築とされています。だからこそ、今日までその痕跡が良好な保存状態で残っていたというわけなのです。

幕末の動乱と小出氏の悲願が園部城を生んだ

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園部陣屋が建設されて約250年が経った明治時代。武士の世が終わった時代なのに、なぜ城へと変貌を遂げたのか?それは前述の通り園部を治めた小出氏の悲願と、幕末の動乱が関係しています。
幕末、最後の園部藩主だった小出英尚は京都見廻役として皇室の警護にあたります。そんな中京都は禁門の変など武力衝突で危険な状態に陥り、京都から近い要衝の地である園部に築城することを幕府に求めました。幕府からすぐには許可が下りなかったものの粘り強く交渉し、大政奉還後の戊辰戦争の際に新政府から許可が下りたのです。
これを機に明治元年から始まった普請で櫓門三ヶ所、櫓五ヶ所、さらにお堀も造成され、翌年に園部陣屋はついに園部城として生まれ変わったのです。

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250年という長い期間を経て一族の念願が叶った園部城ですが、なんと完成の三年後にあえなく廃城になるという運命をたどります。大半の建造物は取り壊されてしまいますが、その一部である「櫓門」と隣接する「番所」、そして「巽櫓(たつみやぐら)」が現在の園部高校の敷地内に。さらに「太鼓櫓」が南丹市八木町にある安楽寺に残されたのです。

園部城跡、その他の見どころ

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園部城跡である園部公園内には天守閣がありますが、これは単なる模擬天守で南丹市国際交流会館の建物。残念ながらこちらの天守は観光客向けの用途ではなく、会議や研修向けの建物。天守最上階からは眺めが良さそうなのですが、展望室という形ではなく談話室が置かれているような状況。一般の観光客が行ってもその展望を楽しめるようなものではないのが勿体ない建物です。

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そしてその天守の真下には屋外プールがあるのですが、これがユニークなことにお堀の跡を利用して作られたプールなのです。お城を見上げながら泳ぐプールというのもなかなかシュールなものです。

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また、園部公園内には「生身天満宮」の跡地があります。かつてここにあった「生身天満宮」は菅原道真が存命の頃から既に祀っていたという神社で、日本最古の天満宮とされています。
「生身天満宮」は園部陣屋普請の際に遷され、現在も園部城から車で5分とかからない場所にあります。こちらもあわせて訪れてみてはいかがでしょうか。

スーパーマリオを生んだ山「こむぎ山」

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現在の園部高校の裏手に位置するこんもりとした小高い山。この山は「こむぎ山(小麦山・小向山とも)」と呼ばれる山で、園部城が完成した際にはこの山頂にも天守がわりの三層の櫓が建てられました。

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歩いて簡単に登れるこむぎ山は山頂部分が平らになっていて、かつてここに櫓があった跡を確認できます。実はこのこむぎ山、そんな史跡としてだけでなく別の意味でも重要なスポットとされているのです。それは、このこむぎ山が誰もが知っている世界的に有名なゲームの故郷とされているからです。

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その世界的に有名なゲームとはなんと「スーパーマリオブラザーズ」なのです!ギネスブックに世界で一番売れたゲームとして登録されているスーパーマリオ。そんなマリオのみならずゼルダの伝説、ドンキーコングなど日本人なら誰もが知る数々の名作ゲームの生みの親でもある任天堂の宮本茂氏は園部町が出身地!もちろん、園部城跡に建つ園部高校の出身で、この地で育った宮本氏は幼い頃からこのこむぎ山が遊び場だったのです。
本人いわく、『どんな角度でマリオがこけたりするか、どうやって跳んだりはねたりするか。自分自身が身をもって体験したこむぎ山での思い出が原点。』と語っています。小さいながらも起伏に富み、自然豊かで子供にとっては最高の遊び場であるこむぎ山。ここは世界にその名を知らしめるゲームが生まれた、ゲームクリエイターにとっては聖地ともいうべき存在だったのです。こむぎ山を歩けば、なんらかのインスピレーションが得られるかもしれませんね。

日本最後の城「園部城」を訪ねよう

日本の城郭史上最後の城「園部城」の城門を校門にしている園部高校。櫓門、巽櫓は園部高校の敷地内となりますが見学は自由。門を入って右手にある事務室に一声かけておくといいでしょう。
アクセスは車なら京都縦貫道の園部下車約10分の距離。園部公園には大きな駐車場もあるので安心です。お城ファンのみならず、ゲームファンにも訪れてほしい園部城。京都で定番の観光スポットに飽きた方にはおすすめです!
<基本情報>
住所:〒622-0004 京都府南丹市園部町小桜町
アクセス:JR嵯峨野山陰線「園部」下車徒歩約20分

■関連MEMO
京都府立園部高等学校
http://www.kyoto-be.ne.jp/sonobe-hs/
マリオやピクミンの動き幼いころに遊んだこむぎ山の思い出から 宮本茂さん(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/tanba/08.html

【トラベルjpナビゲーター】
bow

提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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